日本歴史地名大系 「身延道」の解説
身延道
みのぶみち
駿河と甲斐甲府を結ぶ道。甲州側では駿州往還・
このうち第二の道筋は、とくに戦国期に武田氏の支配が駿河にまで及んで穴山信君が
身延山への道程は、興津筋の場合は宍原へ四里、万沢へ七里、南部へ一〇里、身延までは一三里であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
駿河と甲斐甲府を結ぶ道。甲州側では駿州往還・
このうち第二の道筋は、とくに戦国期に武田氏の支配が駿河にまで及んで穴山信君が
身延山への道程は、興津筋の場合は宍原へ四里、万沢へ七里、南部へ一〇里、身延までは一三里であった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...