車折神社(読み)くるまさきじんじや

日本歴史地名大系 「車折神社」の解説

車折神社
くるまさきじんじや

[現在地名]右京区嵯峨朝日町

有栖ありす川の西、旧下嵯峨しもさが街道の北に鎮座祭神は平安末期の儒者・明経博士の清原頼業(文治五年没)。旧村社。古くこの地は清原氏(舟橋家)の菩提寺宝寿ほうじゆ院の域内で、本殿は頼業の墓所の地といわれる。「山州名跡志」は五道冥官ごどうのみようかん社として載せ、「所祭五道(ママ)官」と記し、門前右側に車前石くるまざきのいしと称される石があるという。この石については「京羽二重織留」にも「亀山帝、あらし山へ行幸の時、清原真人頼業の社の前にて御車とゞまり、牛も地にふしてゆかず、供奉の人あやしみ、始て此社此所にある事をしりぬと、主上則御くるまよりをりさせたまひぬと、是より此石を車前の石と号せり」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「車折神社」の意味・わかりやすい解説

車折神社
くるまざきじんじゃ

京都市右京区嵯峨(さが)朝日町に鎮座。平安後期の儒者、清原頼業(きよはらのよりなり)を祀(まつ)る。後嵯峨(ごさが)天皇が大堰川(おおいがわ)行幸のとき、当神社の社前で車が急に動かなくなったことから「車前(くるまさき)(折(さき))大明神」の神号を得たと伝えられる。旧府社。同社の三船祭(みふねまつり)は、毎年5月第3日曜日に、嵐山(あらしやま)渡月橋(とげつきょう)上流で斎行され、平安時代の舟遊びを再現する。明治時代には画家富岡鉄斎(とみおかてっさい)が祠官(しかん)となり、所願成就の信仰を広めた。その作品類は車軒文庫として収蔵されている。

[二宮正彦]

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世界大百科事典(旧版)内の車折神社の言及

【五道神】より

…また〈五道〉の2字に由来して〈道祖神〉とも付会されている。日本の京都の車折(くるまざき)神社は,五道神降臨の地とも伝えられる。【堀 誠】。…

※「車折神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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