近隣窮乏化政策(読み)きんりんきゅうぼうかせいさく(その他表記)beggar-my-neighbour policy

改訂新版 世界大百科事典 「近隣窮乏化政策」の意味・わかりやすい解説

近隣窮乏化政策 (きんりんきゅうぼうかせいさく)
beggar-my-neighbour policy

関税賦課や引上げ,その他の輸入制限,輸出補助金の交付賃金引下げ為替レートの切下げなどによって,貿易収支を改善し,あるいは国内の雇用を拡大しようとする政策をいう。たとえば関税の賦課や引上げは,輸入を抑制し,国内の輸入代替財産業の需要を高め生産を刺激する。また輸出補助金の交付などの輸出振興策は,国内の輸出財産業の生産を増加させよう。賃金の引下げあるいは為替レートの切下げは,自国産業に有利に働くから,輸出財産業・輸入代替財産業の生産を増加させる。輸出財・輸入代替財産業の生産増加は,他の産業にも波及し,乗数過程(〈乗数理論〉の項参照)を通して,国内の所得・雇用水準を引き上げ,失業を減少させるであろう。他方,自国の輸出の増加・輸入の減少は,貿易相手国からみれば,輸入の増加,輸出の減少を意味するから,貿易相手国の所得・雇用水準は低下し,失業が増加することになる。このため,近隣窮乏化政策は〈失業の輸出〉ともいわれる。

 近隣窮乏化政策は,貿易相手国が報復措置をとらない場合にのみ有効であるにすぎないが,とくに世界的不況の状況下では,貿易相手国も対抗上同様の政策をとることは必至であろう。歴史的にみて,近隣窮乏化政策が広範に採用されたのは1930年代の恐慌の時期であり,輸出奨励金,輸入関税の引上げ,輸入割当制の導入等に加えて,為替レート切下げ政策が国際収支の調整策としてよりも雇用の拡大を目的として用いられた。一国の為替切下げを,同じように不況に悩む他国が放置するはずはなく,各国為替切下げ競争を展開した。一国の近隣窮乏化政策に対して,他国が報復措置をとるならば,互いの政策は相殺し合い,不況から脱出できないばかりか,貿易の縮小という資源配分上の損失を発生させる。したがって,国内不況に対する正しい政策は,こうした政策ではなく,財政金融政策等による国内需要の拡大であるといわれている。第2次大戦後は,世界恐慌期における苦い経験にかんがみ,近隣窮乏化政策の発動を回避する方向が模索された。IMFの設立やGATT(ガツト)の成立は,その具体的なあらわれである。なおbeggar-my-neighbour(policy)という語は,J.ロビンソンが使ってから一般化したが,相手の持札を全部取り上げるトランプ遊びの用語を借用したものである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「近隣窮乏化政策」の意味・わかりやすい解説

近隣窮乏化政策
きんりんきゅうぼうかせいさく
beggar-my-neighbour policy

他国に失業などの負担を転嫁し、その犠牲のうえに自国の景気の回復、維持を図る政策をいう。輸出は国民所得の循環では投資と同様に一国の外からの需要の注入であり、その増加は国民所得を増加させる乗数効果をもち、他方、輸入は貯蓄と同様に国内の所得が国内の企業に還流しない国民所得循環からの漏出であり、その増加は国民所得を減少させる負の乗数効果をもつ。したがって、為替(かわせ)相場の切下げ、輸出奨励金の交付、関税の引上げ、輸入制限の強化などの輸出増大や輸入削減政策は、一国の国民所得や雇用を拡大して不況や失業を緩和する。しかし、一国の輸出の増大や輸入の削減は他国の輸入の増加や輸出の減少につながり、他国では国民所得が減少し、失業が増加することになるであろう。つまり、輸出増大や輸入削減政策は、その国の失業を減少させるが、それと裏腹に外国で失業を増加させるという形で、外国に失業を転嫁する(それを失業の輸出という)のである。このような政策を一国がとると、他国も同様の政策で報復を行うため、世界貿易は沈滞し、国際経済は悪化する。第二次世界大戦前の為替相場切下げ競争、関税引上げ競争などは、その典型的な例である。

[志田 明]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「近隣窮乏化政策」の意味・わかりやすい解説

近隣窮乏化政策
きんりんきゅうぼうかせいさく
beggar-my-neighbour policy

イギリスの経済学者 J.V.ロビンソンが名づけたもので,自国の経済状態を改善するために他国の経済状態を悪化させるような経済政策をとること。たとえば国内の景気が悪化したとき,為替レートの切下げなどにより生産余力を輸出に振向けるような政策をとると,国内の失業は防ぐことができるが,その分輸出相手国では輸入の増加により失業が増加することがありうる。第2次世界大戦前には,各国が為替切下げ,輸入制限といった近隣窮乏化政策をとり,それが相互に報復措置を呼んで,世界経済全体は縮小均衡に陥ってしまった。このときの反省から,戦後はガット GATT,国際通貨基金 IMFなど自由貿易体制を維持するための枠組みが生れた。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の近隣窮乏化政策の言及

【ブレトン・ウッズ体制】より

…世界大恐慌に悩むアメリカ,イギリス,ヨーロッパ大陸諸国そして日本など,工業諸国はその国際収支の悪化と景気抑制による失業の増大を防ぐため,自国通貨の為替相場を競争的に切り下げ,輸出を増加させ輸入を減少させようとした。為替切下げ競争は同時に失業輸出競争であり,まさに近隣窮乏化政策であった。経済的対立はついに軍事的衝突へ発展した。…

【貿易】より

…生産能力に比べて有効需要が不足している不完全雇用経済では,輸出促進政策や大幅な輸出超過は,自国の所得と雇用を増やすが,相手側は逆に輸入が増加して,生産縮小,所得・雇用減少になる。輸出促進政策が失業の輸出ないしは近隣窮乏化政策として非難される。逆に内需拡大政策をとると自国の所得雇用を増やすばかりでなく,一部は輸入増加となって,相手側の輸出拡大,生産・雇用拡大を導く。…

※「近隣窮乏化政策」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android