道重信教(読み)ミチシゲ シンキョウ

20世紀日本人名事典 「道重信教」の解説

道重 信教
ミチシゲ シンキョウ

明治〜昭和期の僧侶 増上寺法主;浄土宗大僧正。



生年
安政3年3月4日(1856年)

没年
昭和9(1934)年1月29日

出生地
長門国厚狭郡宇部(山口県)

学歴〔年〕
浄土宗学山口講習所卒,知恩院大教院〔明治18年〕卒

経歴
明治元年に13歳で出家。ついで吉見浄名寺の仁保領運に宗乗を、松岡通治に漢学を学ぶ。5年浄土宗学山口講習所に入り、同年山下現有より五重相伝を受け、伊藤無閑・野上運海に宗乗・余乗を学んだ。更に京都に上り知恩院大教院で修学傍ら、泉涌寺の佐伯旭雅から倶舎唯識・因明を、楠玉諦から華厳を、金剛宥性から紀信論を学んだ。19年山口学校教授。その後、山口・鎮西・東京の宗学支校を経て、25年浄土宗学本校教授となり、曹洞宗大学林、哲学館などでも教鞭を執る。30年伝道講習院教授を務める。33年増上寺内に仏学院を開いて一般に仏教を講じ、レビーなどフランス、米国、インド、ドイツの外国人の仏教研究者や知名の日本人に個人教授を行い、のち淑女仏教研究会を創立した。大正2年朝鮮開教総長となり、毎年各地に巡教し、12年増上寺法主となった。13年大僧正に進む。在家信者への講義ほか、14年ラジオの法話など仏教の民衆化に努めた。また昭和5年満州に出かけて教化した。9年宇部の阿弥陀寺に在って入寂。著書に「法界一覧」「浄土宗綱要」「法要宗綱要」「浄土往生論講義」「仏教通談」「説教集」「普済法話集」「人生を歩み行く道」などがあり、雑誌凡聖」も発刊した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「道重信教」の解説

道重信教 みちしげ-しんきょう

1856-1934 明治-昭和時代前期の僧。
安政3年3月4日生まれ。浄土宗。山口講習所,知恩院大教院にまなぶ。明治25年浄土宗学本校教授,大正12年増上寺法主。在家信者への講義,ラジオでの法話など仏教の民衆化につとめた。昭和9年1月29日死去。79歳。長門(ながと)(山口県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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