都々逸坊扇歌(読み)どどいつぼうせんか

精選版 日本国語大辞典 「都々逸坊扇歌」の意味・読み・例文・類語

どどいつぼう‐せんかどどいつバウ‥【都都逸坊扇歌・都都一坊扇歌】

  1. 芸人。都都逸の節まわしの完成者。常陸国茨城県)の人。江戸落語家船遊亭扇橋門人。客から題を求めて歌で謎ときをしたのが流行、人気者となった。文化元~嘉永五年(一八〇四‐五二

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「都々逸坊扇歌」の解説

都々逸坊 扇歌(7代目)
ドドイツボウ センカ


肩書
都々逸の家元

本名
天野 春吉(アマノ ハルヨシ)

出身地
東京都

経歴
7歳の時失明し、その後三味線、琴、端唄長唄などを習い、昭和27年都々逸の家元7代目となった。三味線を杯で弾いたり、三味線を背中に回したりして弾く「曲弾き」のほか即興都々逸を得意とした。

没年月日
昭和60年 6月8日 (1985年)

伝記
諸国畸人伝 石川 淳 著(発行元 中央公論新社 ’05発行)


都々逸坊 扇歌(5代目)
ドドイツボウ センカ


職業
寄席芸人 落語家

本名
岡谷 喜代蔵

別名
前名=柳家 楽坊,柳家 むじな,柳家 つばめ

生年月日
安政5年 3月14日

出身地
和歌山県

経歴
柳家燕枝の門弟。柳家楽坊、むじな、つばめを経て、一時5代目都々逸坊扇歌を名乗る。しかし間もなく元のつばめに改名した。

没年月日
明治45年 6月29日 (1912年)


都々逸坊 扇歌(3代目)
ドドイツボウ センカ


職業
寄席芸人 落語家

本名
斉藤 豊吉

別名
前名=都川 扇米,都川 扇三郎

出生地
江戸日本橋室町(東京都)

経歴
乾物屋の子として生まれる。どどいつ節完成者の初代都々逸坊扇歌に入門。都川扇米、都川扇三郎を経て、明治2年3代目都々逸坊扇歌を襲名した。

没年月日
明治13年 4月5日 (1880年)


都々逸坊 扇歌(4代目)
ドドイツボウ センカ


職業
寄席芸人 落語家

本名
志沢 たけ

経歴
とっちりとん、都々逸、曲弾きを得意とし、「矯絃妙喉」と言われて好評を博した。一時は3代春風亭柳枝の妻であった。女性であったため「坊」を省き「都々一」と名乗った。

没年月日
明治31年 9月29日 (1898年)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「都々逸坊扇歌」の意味・わかりやすい解説

都々逸坊扇歌
どどいつぼうせんか
(1804―1852)

江戸後期の寄席の音曲(おんぎょく)師。初代。医師岡玄策の次男として常陸(ひたち)国佐竹村(茨城県常陸太田市)に生まれる。幼名を子之松、のち福次郎と改めた。1820年(文政3)ごろから諸国を放浪し、30年代の初め(天保(てんぽう)初期)には名古屋の寄席へ、また38年(天保9)には江戸の藁店(わらだな)席へ出演。なぞ解き唄(うた)や「トッチリトン」で好評を博した。都々逸としては「白鷺(しらさぎ)が小首かしげて二の足踏んで、やつれ姿の水鏡」ほか数首が伝わっている。墓碑は石岡市の国分寺千手院に現存。没年については45年(弘化2)説もある。なおこの名を名のった者は以後7代を数えるが、この初代がもっとも名高い。

[倉田喜弘]

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朝日日本歴史人物事典 「都々逸坊扇歌」の解説

都々逸坊扇歌(初代)

没年:嘉永5.10.29(1852.12.10)
生年:文化1(1804)
江戸末期の音曲師。医師岡本玄作の次男。名は子之松,のち福次郎。常陸国佐竹村(茨城県常陸太田市)の生まれ。江戸へ出て船遊亭扇橋に入門。美音で当意即妙,謎とき唄や俗曲「とっちりとん」をよくし,音曲界のスターとなった。天保2~4(1831~33)年には名古屋で話題になったが,活躍の場は主として江戸であり,天保改革(1842)で寄席の音曲が禁じられたのちも三味線で謎ときを続けた。弘化3(1846)年には専用の駕籠で3軒の寄席を掛け持ちし,日収7,8両を得ている。禁令を犯してのことで絶頂期は短く,放浪の末に没した。<参考文献>石川淳『諸国畸人伝』

(倉田喜弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「都々逸坊扇歌」の解説

都々逸坊扇歌(5代) どどいつぼう-せんか

1858-1912 明治時代の落語家,音曲師。
安政5年3月14日生まれ。初代柳亭(のち談洲楼)燕枝(えんし)の弟子となり,楽枝(らくし),むじなをへて明治16年ごろ柳家つばめ(初代)と改名。仙台節をうたって人気を博す。35年5代都々逸坊扇歌を襲名した。明治45年6月29日死去。55歳。本名は岡谷喜代松。旧姓は西村。
【格言など】束(つか)の間に土となりけり春の雪(辞世)

都々逸坊扇歌(初代) どどいつぼう-せんか

1804-1852 江戸時代後期の音曲師。
文化元年生まれ。江戸の落語家初代船遊亭扇橋の門人となる。天保(てんぽう)9年より牛込藁店(わらだな)の寄席に出演,とっちりとん,即席都々逸で人気を博した。嘉永(かえい)5年10月25/29日死去。49歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。姓は岡。名は福次郎。通称は枡屋福次郎。

都々逸坊扇歌(4代) どどいつぼう-せんか

1856-1897 明治時代の音曲師。
安政3年9月生まれ。明治19年4代を襲名したが,女性のため番付ではほとんど「坊」をはぶき都々一と名のる。一時,3代春風亭柳枝の妻であった。明治30年9月26日死去。42歳。本名は志沢たけ。前名は東家小満之助(あずまや-こまのすけ)。

都々逸坊扇歌(2代) どどいつぼう-せんか

?-1867 幕末の音曲師。
初代都々逸坊扇歌の弟子で,落語家都川(みやこがわ)歌丸の妻。はじめ都川歌女吉(かめきち)と称し,女雷(めらい)とあだ名された。初代の没後まもなく2代扇歌を襲名。女性のため「坊」をはぶき都々一(逸)とした番付もある。慶応3年6月死去。

都々逸坊扇歌(3代) どどいつぼう-せんか

1830-1880 幕末-明治時代の音曲師。
天保(てんぽう)元年生まれ。落語家4代船遊亭扇橋の弟子。はじめ扇三郎と称し,維新前後に3代扇歌を襲名。明治13年4月5日死去。51歳。本名は斎藤豊吉。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「都々逸坊扇歌」の解説

都々逸坊扇歌
どどいつぼうせんか

1804~52.10.29

江戸末期の音曲師。常陸国生れ。江戸へ出て船遊亭扇橋(せんきょう)に入門。美音で当意即妙,謎解き歌や俗曲「とっちりとん」で人気を得た。天保の改革で寄席の鳴物や音曲が禁じられたが,相変わらず三味線いりの謎解きを演じていたことが1846年(弘化3)の市中風聞書で知られる。晩年は江戸を去って放浪のうちに没した。名跡は現在まで7世を数える。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「都々逸坊扇歌」の意味・わかりやすい解説

都々逸坊扇歌
どどいつぼうせんか

[生]文化1(1804).常陸
[没]嘉永5(1852)
江戸時代後期の俗曲の演奏家。本名岡福次郎。医師の子。天保9 (1838) 年牛込藁店 (わらだな) の寄席で,「どどいつどどいつ」の囃子詞 (はやしことば) をもつ「都々逸節」を流行させ,その節回しを完成,みずからも「都々逸坊」と名のった。船遊亭扇橋門下。

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367日誕生日大事典 「都々逸坊扇歌」の解説

都々逸坊 扇歌(5代目) (どどいつぼう せんか)

生年月日:1858年3月14日
明治時代の寄席芸人;落語家
1912年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の都々逸坊扇歌の言及

【都々逸】より

…この歌は明和(1764‐72)ころから江戸で流行していた《潮来節(いたこぶし)》に似た曲調で,まもなく地元ではすたれたが,江戸や上方に流れて《名古屋節》と称された。1838年(天保9)江戸の寄席音曲師だった都々逸坊扇歌(?‐1852)が,同じ《潮来節》を母体とした《よしこの節》の曲調を変化させ,名古屋節の囃し詞を加えて〈どどいつ節〉を大成し,旗揚げしてから〈どどいつ〉の名称でもてはやされるようになった。 七・七・七・五調4句26文字の詞型を基本とするが,〈どどいつ形式〉などと呼ばれて,歌詞を新作するなどのことが行われた。…

【よしこの節】より

…《よしこの節》は京坂地方でも盛んに歌われるようになり,名古屋で起こって流行していた〈名古屋節〉を駆逐する勢いで広がった。1838年(天保9),江戸の都々逸坊扇歌が《よしこの節》に〈名古屋節〉をとり入れて〈どどいつ節〉(都々逸)を大成しもてはやされたが,京坂では長く《よしこの節》を残した。徳島県の阿波踊の歌は《よしこの節》を民謡化したものである。…

※「都々逸坊扇歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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