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都々逸坊扇歌 どどいつぼうせんか

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

都々逸坊扇歌
どどいつぼうせんか

[生]文化1(1804).常陸
[没]嘉永5(1852)
江戸時代後期の俗曲の演奏家。本名岡福次郎。医師の子。天保9 (1838) 年牛込藁店 (わらだな) の寄席で,「どどいつどどいつ」の囃子詞 (はやしことば) をもつ「都々逸節」を流行させ,その節回しを完成,みずからも「都々逸坊」と名のった。船遊亭扇橋門下。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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大辞林 第三版の解説

どどいつぼうせんか【都々逸坊扇歌】

1796?~1852) 俗曲都々逸の完成者。本名岡福次郎。常陸ひたちの人。幼時に失明。江戸に出て船遊亭扇橋に師事。寄席の客になぞの題を出させ、その解を即興で都々逸節の歌詞に作り、独特の節回しで唄って名声を博した。後年、風刺よみ込みで幕府ににらまれ、生国に帰住。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

都々逸坊扇歌
どどいつぼうせんか
(1804―1852)

江戸後期の寄席の音曲(おんぎょく)師。初代。医師岡玄策の次男として常陸(ひたち)国佐竹村(茨城県常陸太田市)に生まれる。幼名を子之松、のち福次郎と改めた。1820年(文政3)ごろから諸国を放浪し、30年代の初め(天保(てんぽう)初期)には名古屋の寄席へ、また38年(天保9)には江戸の藁店(わらだな)席へ出演。なぞ解き唄(うた)や「トッチリトン」で好評を博した。都々逸としては「白鷺(しらさぎ)が小首かしげて二の足踏んで、やつれ姿の水鏡」ほか数首が伝わっている。墓碑は石岡市の国分寺千手院に現存。没年については45年(弘化2)説もある。なおこの名を名のった者は以後7代を数えるが、この初代がもっとも名高い。[倉田喜弘]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の都々逸坊扇歌の言及

【都々逸】より

…この歌は明和(1764‐72)ころから江戸で流行していた《潮来節(いたこぶし)》に似た曲調で,まもなく地元ではすたれたが,江戸や上方に流れて《名古屋節》と称された。1838年(天保9)江戸の寄席音曲師だった都々逸坊扇歌(?‐1852)が,同じ《潮来節》を母体とした《よしこの節》の曲調を変化させ,名古屋節の囃し詞を加えて〈どどいつ節〉を大成し,旗揚げしてから〈どどいつ〉の名称でもてはやされるようになった。 七・七・七・五調4句26文字の詞型を基本とするが,〈どどいつ形式〉などと呼ばれて,歌詞を新作するなどのことが行われた。…

【よしこの節】より

…《よしこの節》は京坂地方でも盛んに歌われるようになり,名古屋で起こって流行していた〈名古屋節〉を駆逐する勢いで広がった。1838年(天保9),江戸の都々逸坊扇歌が《よしこの節》に〈名古屋節〉をとり入れて〈どどいつ節〉(都々逸)を大成しもてはやされたが,京坂では長く《よしこの節》を残した。徳島県の阿波踊の歌は《よしこの節》を民謡化したものである。…

※「都々逸坊扇歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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