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鄒韜奮 すうとうふんZou Tao-fen

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鄒韜奮
すうとうふん
Zou Tao-fen

[生]光緒21(1895).11.5. 福建,永安
[没]1944.7.24. 上海
中国のジャーナリスト,政治評論家。本名は恩潤,韜奮は筆名。上海のセント・ジョーンズ大学卒業後,1926年『生活』 (週刊) の編集主任となり,31年満州事変勃発後は抗日言論活動を開始した。 33年中国民権保障同盟を組織し,執行委員となって活動したが,国民政府の圧迫が強くなったため外遊して欧米,ソ連を歴訪。 35年帰国後,『大衆生活』を創刊し,一二・九運動を支持して積極的に抗日運動に参加した。 36年6月全国各界救国連合会 (全救連) が結成されるとその指導者の一人となり,7月全救連幹部の沈鈞儒,陶行知らと連名で「団結,禦侮 (外敵を防ぐ) の若干の基本的条件と最低要求」を発表し,抗日救国で一致すれば各党派は連合戦線を結成できること,国民党は「安内攘外」を放棄し,共産党は階級闘争を緩和すべきことなどを主張した。 11月沈鈞儒,章乃器らとともに「抗日七君子」の一人として逮捕されたが,37年7月日中戦争勃発後に釈放された。8月上海で『抗戦』を創刊 (のちに『全民抗戦』と改題) ,38年国民参政会参政員に選ばれたが,41年辞職してホンコンに移り,中国民主同盟の結成に協力した。

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百科事典マイペディアの解説

鄒韜奮【すうとうふん】

中国のジャーナリスト。本名は恩潤,韜奮はペンネーム。福建省福州生れ。雑誌《生活》,《抗戦》(1937年創刊)などによって,侵略する日本に対する抵抗と愛国を民衆に訴えつづけた。

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世界大百科事典 第2版の解説

すうとうふん【鄒韜奮 Zōu Tāo fèn】

1895‐1944
中国のジャーナリスト。本名は恩潤,韜奮は筆名。福建省福州の人。大学卒業後,記者生活に入ったが,1931年に日本の東北侵略が始まると雑誌《生活》によって抗日の世論喚起をはかった。32年に魯迅らと中国民権保障同盟を組織し,国民政府の圧迫に抗して37年8月には雑誌《抗戦》を創刊,終生愛国活動を展開した。いわゆる〈抗日七君子〉の一人。つねに民衆の生活レベルでの意識の変革を意図したため,彼の主宰する雑誌はときに30万部と驚異的な売行きをみせた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鄒韜奮
すうとうふん / ツォウタオフェン
(1895―1944)

中国のジャーナリスト。本名は恩潤(おんじゅん)。韜奮は筆名。福建(ふっけん)省福州(ふくしゅう)の人。上海(シャンハイ)のセント・ジョーンズ大学卒業。1922年中華職業教育社に入社。1926年から週刊誌『生活』の編集を引き受けた。満州事変が起こると抗日運動に献身し、社会主義思想に接近した。1932年7月生活書店を創設。1933年中国民権保障同盟執行委員。同年7月海外に亡命し、欧米諸国を歴訪した。1935年8月帰国し、『大衆生活』『永生』『生活日報』『生活星期刊』を創刊し、抗日救国運動に奮闘した。1936年全国各界連合会の執行委員。沈鈞儒(ちんきんじゅ)らと連名で「団結禦侮(ぎょぶ)の基本条件と最低要求」を発表した。同年11月逮捕されたが(抗日七君子事件)、1937年7月釈放された。抗日戦争中も『全民抗戦』などを発刊。1938年国民参政会委員。1941年皖南(かんなん)事件後重慶(じゅうけい)を去り、香港(ホンコン)で活動。太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)後、一時華中解放区に入ったが、耳癌(がん)のため1944年7月上海で死去した。遺言により同年9月中国共産党への入党を認められた。[石島紀之]

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