日本大百科全書(ニッポニカ) 「鄒韜奮」の意味・わかりやすい解説
鄒韜奮
すうとうふん / ツォウタオフェン
(1895―1944)
中国のジャーナリスト。本名は恩潤(おんじゅん)。韜奮は筆名。福建(ふっけん)省福州(ふくしゅう)の人。上海(シャンハイ)のセント・ジョーンズ大学卒業。1922年中華職業教育社に入社。1926年から週刊誌『生活』の編集を引き受けた。満州事変が起こると抗日運動に献身し、社会主義思想に接近した。1932年7月生活書店を創設。1933年中国民権保障同盟執行委員。同年7月海外に亡命し、欧米諸国を歴訪した。1935年8月帰国し、『大衆生活』『永生』『生活日報』『生活星期刊』を創刊し、抗日救国運動に奮闘した。1936年全国各界連合会の執行委員。沈鈞儒(ちんきんじゅ)らと連名で「団結禦侮(ぎょぶ)の基本条件と最低要求」を発表した。同年11月逮捕されたが(抗日七君子事件)、1937年7月釈放された。抗日戦争中も『全民抗戦』などを発刊。1938年国民参政会委員。1941年皖南(かんなん)事件後重慶(じゅうけい)を去り、香港(ホンコン)で活動。太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)後、一時華中解放区に入ったが、耳癌(がん)のため1944年7月上海で死去した。遺言により同年9月中国共産党への入党を認められた。
[石島紀之]