里見勝蔵(読み)さとみかつぞう

百科事典マイペディア 「里見勝蔵」の意味・わかりやすい解説

里見勝蔵【さとみかつぞう】

洋画家京都市生れ。東京美術学校卒業後,1921年―1925年フランスに留学し,ブラマンクフォービスムを学んだ。その後二科会会員となり,1926年佐伯祐三前田寛治らと〈1930年協会〉を結成,さらに1930年二科会を脱退して独立美術協会を興し,フォーブの運動を展開した。戦後国画会会員。
→関連項目児島善三郎1930年協会

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「里見勝蔵」の解説

里見勝蔵 さとみ-かつぞう

1895-1981 大正-昭和時代の洋画家。
明治28年6月9日生まれ。大正10年フランスにわたり,ブラマンクに師事。帰国後,二科展樗牛(ちょぎゅう)賞,二科賞を受賞。15年佐伯祐三(さえき-ゆうぞう)らと一九三○年協会を結成し,昭和5年林武(たけし)らと独立美術協会を創立。戦後は国画会会員。昭和56年5月13日死去。85歳。京都出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。

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世界大百科事典(旧版)内の里見勝蔵の言及

【フォービスム】より

…日本では,すでに1910年代に万鉄五郎がフォービスム的な作風を示し,12年のフュウザン会第1回展にはこの傾向の作品が出品された。30年結成された独立美術協会の創立会員には多かれ少なかれフォービスムの影響が見られ,フランスでブラマンクに師事し25年帰国した里見勝蔵(1895‐1981)がその最も顕著な例である。【中山 公男】。…

【明治・大正時代美術】より

…彼らは関東大震災の前後にフランスへ留学し,いわゆるエコール・ド・パリの雰囲気のなかで20世紀の反自然主義的な近代絵画の洗礼を受け,大正末ころにあいついで帰国してくる。里見勝蔵(1895‐1981),前田寛治,佐伯祐三らがそうであり,彼らは木下孝則(1895‐1973),小島善太郎(1892‐1984)と一九三〇年協会を結成する。26年の第1回展には,古賀春江,野口弥太郎(1899‐1976),林武,林重義(1896‐1944),川口軌外(きがい)(1892‐1966),木下義謙(1898‐1996),宮坂勝(1895‐1953),中野和高(1896‐1965),中山巍(たかし)(1893‐1978),伊原宇三郎(1894‐1976),福沢一郎,長谷川利行,靉光ら,昭和期に活躍する青年画家が多く集まった。…

※「里見勝蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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