コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

前田寛治 まえだかんじ

7件 の用語解説(前田寛治の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

前田寛治
まえだかんじ

[生]1896.10.1. 鳥取,北条
[没]1930.4.16. 東京
洋画家。1921年東京美術学校卒業,翌 1922年フランスに留学。エコール・ド・パリの自由な雰囲気にふれ,一方ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル,ギュスターブ・クールベにひかれ,知的な新しい写実を目指した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

まえだ‐かんじ〔まへだクワンヂ〕【前田寛治】

[1896~1930]洋画家。鳥取の生まれ。フランスに留学し、クールベアングルに傾倒。独自の写実主義を目ざしたが、しだいに主観表現に向かった。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

前田寛治【まえたかんじ】

洋画家。鳥取県生れ。1921年東京美術学校卒業。1922年―1925年フランスに留学して,佐伯祐三里見勝蔵,中山巍,中学同級の福本和夫らと交わり,アングルクールベリアリズムに傾倒。
→関連項目1930年協会米子市美術館

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

前田寛治 まえた-かんじ

1896-1930 大正-昭和時代前期の洋画家。
明治29年10月1日生まれ。大正11年フランスへ留学。クールベに傾倒し,また倉吉中学時代の同級生福本和夫唯物史観の影響をうけ,独自の写実主義を提唱した。15年「一九三○年協会」創立にくわわり,のち前田写実研究所を開設。昭和5年4月16日死去。35歳。鳥取県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。代表作に「海」(帝国美術院賞),「J・C嬢の像」「棟梁の家族」。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

まえたかんじ【前田寛治】

1896‐1930(明治29‐昭和5)
洋画家。鳥取県北条町に生まれた。1921年(大正10)東京美術学校卒業。在学中は藤島武二の指導をうけ,また内村鑑三に傾倒。翌22年渡仏してエコール・ド・パリの自由な雰囲気にふれ,また旧友福本和夫と交遊し彼のマルクス主義思想の影響を受ける。アングル,クールベにひかれ,古典主義,写実主義を研究し,25年帰国した。同年の帝展で特選となって画壇に地歩を築き,翌年には里見勝蔵佐伯祐三小島善太郎らと一九三〇年協会を結成して滞欧作40点を出品,また帝展にも出品を続けて若きホープとみなされ,29年《海》(タイ国大使館)で帝国美術院賞を受けた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

まえだかんじ【前田寛治】

1896~1930) 洋画家。鳥取県生まれ。東京美術学校卒。渡仏してクールベに傾倒。帰国後「1930年協会」を創立。独自の写実主義を目指した。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

前田寛治
まえだかんじ
(1896―1930)

洋画家。明治29年10月1日鳥取県に生まれる。倉吉中学校を卒業後、上京して葵橋(あおいばし)洋画研究所に入り、黒田清輝(せいき)の指導を受ける。1921年(大正10)東京美術学校西洋画科を卒業、帝展に出品し、翌年フランスへ留学した。クールベのレアリスムに傾倒し、また福本和夫(かずお)から唯物史観の感化を受けて、社会意識の強い独自の写実主義を目ざした。25年帰国して第6回帝展に『J・C嬢の像』を出品し、特選となる。翌年同志とともに「一九三〇年協会」を創立、また本郷・湯島の自由画室に写実研究所を開設した。質感、量感、実在感を絵画の写実的要件としたが、彼自身の作風はしだいにフォーブ的な主観表現へと向かった。帝展で特選、無鑑査ののち、29年(昭和4)に審査員として出品した『海』は帝国美術院賞を受ける。翌昭和5年4月16日没。ほかに代表作として『二人の労働者』『裸体』『棟梁(とうりょう)の家族』がある。[小倉忠夫]
『瀧悌三著『前田寛治』(1977・日動出版部)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

前田寛治の関連キーワード兵庫県加西市北条町北条鳥取県東伯郡北栄町国坂鳥取県鳥取市嶋鳥取県鳥取市新鳥取県鳥取市浜坂鳥取県鳥取市布勢北条〈町〉鳥取県東伯郡北栄町北条島岩本廉蔵桝田新蔵

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

前田寛治の関連情報