一九三〇年協会(読み)せんきゅうひゃくさんじゅうねんきょうかい

改訂新版 世界大百科事典 「一九三〇年協会」の意味・わかりやすい解説

一九三〇年協会 (せんきゅうひゃくさんじゅうねんきょうかい)

美術団体。1926年(昭和1)5月,小島善太郎木下孝則里見勝蔵前田寛治佐伯祐三によって結成され,東京・京橋の室内社に滞欧作を陳列して第1回展を開いた。いずれもフランスに留学してエコール・ド・パリの雰囲気の中で修業した画家たちで,既成画壇の陳腐を排し,尖鋭化するプロレタリア美術に対抗し,芸術の純粋を求めるというのが趣意であった。会名はミレーコローが結んだ1830年派に倣ったものである。第2回展から公募し,30年1月の第5回展までに宮坂勝,中野和高,中山巍,木下義謙,林武,古賀春江,川口軌外,野口弥太郎伊原宇三郎,児島善三郎,福沢一郎らを会員に加え,フォービスムを基調とする清新な運動を展開した。靉光,井上長三郎長谷川利行藤川栄子,大野五郎らが協会賞を得ている。30年秋,会員の多数が独立美術協会の創立に参加し,解消した。
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百科事典マイペディア 「一九三〇年協会」の意味・わかりやすい解説

1930年協会【せんきゅうひゃくさんじゅうねんきょうかい】

1926年里見勝蔵前田寛治,小島善太郎らによって結成された美術団体。名称はフランスのミレー,コローらが1830年派と呼ばれたことにちなむ。写実主義よりも20世紀初頭のフランスに興ったフォービスム作風を示した。第5回展まで開催したが,1930年独立美術協会創立により会員の多く移籍,解散した。

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世界大百科事典(旧版)内の一九三〇年協会の言及

【明治・大正時代美術】より

…彼らは関東大震災の前後にフランスへ留学し,いわゆるエコール・ド・パリの雰囲気のなかで20世紀の反自然主義的な近代絵画の洗礼を受け,大正末ころにあいついで帰国してくる。里見勝蔵(1895‐1981),前田寛治,佐伯祐三らがそうであり,彼らは木下孝則(1895‐1973),小島善太郎(1892‐1984)と一九三〇年協会を結成する。26年の第1回展には,古賀春江,野口弥太郎(1899‐1976),林武,林重義(1896‐1944),川口軌外(きがい)(1892‐1966),木下義謙(1898‐1996),宮坂勝(1895‐1953),中野和高(1896‐1965),中山巍(たかし)(1893‐1978),伊原宇三郎(1894‐1976),福沢一郎,長谷川利行,靉光ら,昭和期に活躍する青年画家が多く集まった。…

※「一九三〇年協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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