大阪府大東市にある曹洞宗の寺。正称は福聚山慈眼(じげん)寺。創建年代不詳。本尊は行基の作と伝える十一面観音。平安中期一条天皇のころ江口の遊女が寺堂を再建し,1294年(永仁2)僧入蓮が再び伽藍を修造したと伝えるが,1565年(永禄8)三好・松永の兵火によって全焼したという。元和年間(1615-24)曹洞宗の僧青厳が復興してから,大坂商人の絶大な信仰を得て,その援護のもとに栄えた。春秋2回の無縁経の法会に,大坂方面から野崎参りと称して参詣者が多く,そのとき寝屋川の船路による者と土手の陸路を歩む者が互いにののしり合う奇習があって名高い。〈お染・久松〉(お染久松物)の悲恋物語の舞台としても知られ,いま本堂の後方に,2人の墓が残っている。
執筆者:藤井 学
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
大阪府大東(だいとう)市野崎にある曹洞(そうとう)宗の寺。正称は福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)で、野崎観音は俗称。本尊は十一面観音。山城(やましろ)(京都府)の地蔵院とゆかりが深く、インドのバーラーナシーの大悲観音の聖蹟(せいせき)を模したものといわれる。開基は不詳で、一条(いちじょう)天皇(在位986~1011)の時代に摂津江口(えぐち)(現東淀川(ひがしよどがわ)区)の遊女が本堂を再興したと伝えられる。1565年(永禄8)三好(みよし)・松永の兵によって全焼、元和(げんな)年間(1615~24)に青嵓(せいがん)が重興した。本尊十一面観音像は行基(ぎょうき)の作と伝えられ、縁結び、子授けに霊験があるという。この寺は江戸時代には大坂商人の厚い帰依(きえ)を受けた。近世、春秋2回行われた無縁経(むえんきょう)の法会(ほうえ)(現在5月1~10日)には寝屋川の水路と土手の陸路を行く参拝客が罵声(ばせい)を交わしながら訪れ、その風習は野崎詣(もうで)として知られ、近松門左衛門『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』の舞台ともなった。
[菅沼 晃]
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