日本大百科全書(ニッポニカ) 「野町和嘉」の意味・わかりやすい解説
野町和嘉
のまちかずよし
(1946― )
写真家。高知県幡多(はた)郡に生まれる。高校2年のときカメラを買ってもらい、写真を撮りはじめ、県の写真展に応募し入選するなどして写真に関心を深めてゆく。1965年(昭和40)に県立工業高校を卒業して、大阪の松下電工(現、パナソニック電工)に就職する。1968年写真家になることを志して上京、杵島(きじま)隆のスタジオでアシスタントを務めながら師事する。1971年杵島スタジオを辞してフリーランスとなり、仲間とスタジオを共有して広告写真などの仕事をするようになる。1972年彼らとヨーロッパ旅行をし、さらにサハラ砂漠まで旅をする。スペインからジブラルタル海峡を渡り、モロッコ、アルジェリアをまわる。砂漠の地平線や初めて見る風景に感動と衝撃を受け、1973年からアフリカへの撮影取材に通うようになる。
1977年から1978年にかけて、最初の写真集『サハラ』が5か国(イタリア、イギリス、西ドイツ、フランス、日本)で出版され(日本では1978)、1979年度の日本写真協会新人賞を受賞する。続けて『シナイ』(1979)が前作同様の5か国で出版される。1980年からはナイル川の取材に取り組み、作品は『ライフ』誌に掲載され、1982年度の米国報道写真家協会年度賞雑誌部門銀賞を受賞。1983年には『バハル』を出版。バハルはアラビア語で川を意味し、同書はナイル源流までを撮影したものである。この写真集と同年に出版された『サハラ悠遠』によって、1984年度の土門拳(どもんけん)賞を受賞している。
このころから中国への取材も始め、毛沢東(もうたくとう/マオツォートン)の率いた中国共産党の「長征の道」1万2500キロメートルを撮影して、1989年(平成1)には『長征夢現』を出版するが、天安門事件の直前まで取材されていたことと、出版が事件直後であったことも重なって大きな関心を集めた。この年に出版された『ナイル』と同書の2冊の写真集が対象となって、1990年度の芸術選奨文部大臣新人賞と日本写真協会年度賞を受賞する。
野町の一貫したテーマは、過酷な大地に生きる人々と風土と宗教である。20年間の仕事を振り返り、その根源を探るべく人類誕生の地、東アフリカのグレート・リフト・バレー(大地溝帯)を取材する。その成果を1992年『地球へ!RIFT VALLEY ODYSSEY』として出版、翌1993年講談社出版文化賞を受賞。写真家として飛躍する契機となったサハラ砂漠の取材の集大成である写真集『サハラ20年』(1996)でふたたび日本写真協会年度賞を受賞する。その後、宗教への関心を強くし、サウジアラビア政府からの要請もあってメッカを中心にメディナなども撮影取材し、『メッカ巡礼』(1997)を出版。1998年にはエチオピアの人々の暮らしと宗教を撮影取材した『神よ、エチオピアよ』を出版している。これら野町の仕事が世界的にも貴重なドキュメントであることは、この2冊を含めて『ナイル』『サハラ20年』、1994年に出版された『チベット――天の大地』などほとんどの写真集が、世界各国版として同時刊行されていることからもうかがうことができる。
[大島 洋]
『『サハラ』(1978・平凡社)』▽『『シナイ』(1979・平凡社)』▽『『バハル』(1983・集英社)』▽『『サハラ悠遠』(1983・岩波書店)』▽『『飢えを喰らう』(1985・情報センター出版局)』▽『『モロッコ』(1987・キヤノンクラブ)』▽『『ナイル』(1989・情報センター出版局)』▽『『長征夢現』(1989・情報センター出版局)』▽『『地球へ!RIFT VALLEY ODYSSEY』(1992・講談社)』▽『『チベット――天の大地』(1994・集英社)』▽『『サハラ20年』(1996・講談社)』▽『『メッカ巡礼』(1997・集英社)』▽『『神よ、エチオピアよ』(1998・集英社)』▽『『ヴァチカン』(2000・世界文化社)』