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野間清治 のませいじ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

野間清治
のませいじ

[生]1878.12.17. 群馬
[没]1938.10.16. 東京
講談社の創立者。 1900年群馬県立師範学校を卒業,2年間小学校の教師をしてから,東京大学臨時教員養成所に入学。 04年に卒業して,沖縄県に行き,中学教師と視学をつとめた。 07年上京して東京大学法学部の事務官となり,法学部の緑会弁論部での弁論を出版する目的で,09年大日本雄弁会を創立。

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デジタル大辞泉の解説

のま‐せいじ〔‐セイヂ〕【野間清治】

[1878~1938]出版人。群馬の生まれ。教員を経て、明治42年(1909)大日本雄弁会を設立し、次いで講談社を設立。「キング」「講談倶楽部」「少年倶楽部」「婦人倶楽部」などの大衆雑誌や書籍を発行した。著作に「私の半生」など。

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百科事典マイペディアの解説

野間清治【のませいじ】

出版事業家。講談社の創業者。群馬県生れ。群馬師範,東大臨時教員養成所卒。1909年大日本雄弁会を創立,翌年雑誌《雄弁》を創刊。1911年講談社を興し,《講談倶楽部》をはじめ婦人・子ども向け雑誌図書を多数発行。
→関連項目報知新聞

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

野間清治 のま-せいじ

1878-1938 大正-昭和時代前期の出版経営者。
明治11年12月17日生まれ。40年東京帝大首席書記となる。42年大日本雄弁会を創立,翌年雑誌「雄弁」を創刊。44年講談社を設立して「講談倶楽部(クラブ)」を創刊,以後「少年倶楽部」「キング」などを創刊し,9雑誌を発行した。昭和5年報知新聞社長。昭和13年10月16日死去。61歳。群馬県出身。東京帝大臨時教員養成所卒。著作に「体験を語る」「私の半生」など。
【格言など】利益は顧客の感謝から寄与されるものである。神様より下し賜る賞与である

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朝日日本歴史人物事典の解説

野間清治

没年:昭和13.10.16(1938)
生年:明治11.12.7(1878)
大正昭和期の出版事業経営者。群馬県山田郡新宿村(桐生市)の生まれ。明治33(1900)年尋常師範学校を卒業し,教師になったが,35年東京帝大文科大学臨時教員養成所に入学。卒業後,沖縄中学校教諭を経て,40年東京帝大法科大学職員となる。折からの雄弁術流行の先頭に立っていた緑会弁論部の創立を助力した。学生の弁論を筆記し活字化する企画をたて,自ら大日本雄弁会を設立,43年雑誌『雄弁』を創刊。44年講談社を創立し,同年講談落語などの寄席芸能を筆記活字化した雑誌『講談倶楽部』を発刊し,大きな成功をおさめた。以後,『少年倶楽部』『少女倶楽部』『婦人倶楽部』などの雑誌を創刊し,雑誌王国を築いた。なかでも,『キング』は,「おもしろくて,ためになる」のキャッチフレーズ通り娯楽と修養を兼備した大衆雑誌として100万部を突破する部数を誇った。「講談社文化」という言葉も生まれたほど,その出版物が大衆の意識に与えた影響は大きい。<著作>『自叙伝』<参考文献>野間清治伝記編纂会編『野間清治伝』

(有山輝雄)

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世界大百科事典 第2版の解説

のませいじ【野間清治】

1878‐1938(明治11‐昭和13)
講談社の創業者。群馬県桐生に生まれる。両親は武家の出で維新後は武術を興行して回り,桐生に落ち着き教職を得た。高等小学校,県立尋常師範学校を経て小学校教員となる。その後東京帝大文科大学臨時教員養成所に入り,中等教員の資格を得て沖縄に赴任。衆望を得て県視学に昇進したが,1907年東京帝大法科大学の首席書記に迎えられ上京。09年大日本雄弁会を設立し,翌年《雄弁》を創刊,11年には講談社を起こして《講談俱楽部》を創刊し,後25年に両者を合体して大日本雄弁会講談社とした。

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大辞林 第三版の解説

のませいじ【野間清治】

1878~1938) 出版業者。群馬県生まれ。1909年(明治42)大日本雄弁会、次いで11年に講談社を設立。「講談俱楽部」「少年俱楽部」「婦人俱楽部」「キング」など多くの雑誌・書籍を発行した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

野間清治
のませいじ
(1878―1938)

大正・昭和期の出版経営者。明治11年12月17日群馬県桐生(きりゅう)生まれ。東京帝国大学臨時教員養成所卒業。沖縄の中学校教員を経て、東京帝大法科事務員となる。大学内の弁論熱に注目し、弁論を活字化し刊行することを思い付く。1909年(明治42)大日本雄弁会を設立、翌1910年雑誌『雄弁』を創刊。1911年講談社を設立し『講談倶楽部(くらぶ)』を発刊、成功を収めた。以後、『少年倶楽部』(1914)、『面白倶楽部』(1916)、『現代』『婦人倶楽部』(1920)、『少女倶楽部』(1923)、『キング』(1925)、『幼年倶楽部』(1926)などを次々と発刊。『キング』創刊を機に講談社と大日本雄弁会を合併し、大日本雄弁会講談社とした。同社の雑誌だけで1930年代日本全体の雑誌発行部数の約7割を占めるまでに至り、「講談社文化」ともいわれる独特の大衆的文化をつくりあげた。昭和13年10月16日死去。[有山輝雄]
『辻平一著『人間野間清治』(1960・講談社)』

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世界大百科事典内の野間清治の言及

【キング】より

野間清治によって1925年(大正14)1月号から刊行された大衆娯楽雑誌。大正期に成長しつつあった社会の大衆化現象を敏感にとらえた野間は,〈万人のための百万雑誌〉という望みを託し,〈日本一おもしろい,日本一為になる,日本一安い雑誌〉をモットーとした。…

【講談社[株]】より

野間清治が創業した出版社。野間は1909年に大日本雄弁会を設立,《雄弁》を刊行。…

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