ニューカレドニア(読み)にゅーかれどにあ(英語表記)New Caledonia

翻訳|New Caledonia

共同通信ニュース用語解説 「ニューカレドニア」の解説

ニューカレドニア

オーストラリアの東約1500キロにあり、複数の島から成るフランスの特別自治体。メラネシア先住民のカナクが人口の41%、フランスなど欧州系が24%を占める。1853年にフランスが併合。1946年にフランスの海外領土となり、2003年に特別自治体へ移行した。車載用電池などの原料になるニッケル埋蔵量が豊富。観光業が盛んで、日本では故森村桂もりむら・かつらさんの旅行記や映画から「天国にいちばん近い島」として知られる。(シドニー共同)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ニューカレドニア」の意味・わかりやすい解説

ニュー・カレドニア
にゅーかれどにあ
New Caledonia

南西太平洋、メラネシアに位置するフランスの特別自治体。「ニュー・カレドニア」は英語名で、フランス語名はヌーベル・カレドニーNouvelle Calédonie。ニュー・カレドニア本島と周辺の諸島からなる。ニュー・カレドニア本島は北西―南東方向に横たわる細長い島で、長さ約400キロメートル、幅約50キロメートル、面積は1万6374平方キロメートル、人口は17万0365(1996)。ロアヨーテ諸島などを含めた総面積は1万8575平方キロメートル、人口19万6836(1996)。総面積は、日本の四国(1万8800平方キロメートル)にほぼ匹敵し、太平洋域ではニュージーランド(海外領を除き27万0534平方キロメートル)に次ぐ。火山性の山脈が中央を走り、平地に乏しい。最高峰は北部のパニーPanié山(1628メートル)であるが、南部のフンボルトHumboldt山(1618メートル)もよく知られている。周辺諸島にはパンPins島、ウアンOuan島、ベレップBélep諸島などがある。ロアヨーテ諸島は東側に平行に連なる。住民は、フランス人を主とするヨーロッパ人が多く34.1%。メラネシア人は44.1%を占める。ほかにタヒチ島やウォリス・フトゥナ諸島ポリネシア人、インドネシアベトナムのアジア人も多い。首都はヌーメアで、島の南西岸に位置する。

[大島襄二]

ニッケル鉱採掘と植民地化

1774年イギリスの航海者クックが第2回の太平洋航海で到達し、故郷スコットランドに似ているとしてその旧名カレドニアにちなんで命名した。1778年フランスのラ・ペルーズ探検隊が来島、以後、英仏両国の木材商人が競って訪れ、1840年代にはイギリスのロンドン宣教協会(プロテスタント)、フランスのマリスト兄弟会(カトリック)が相次いで伝道を開始するなど、両国の植民政策の争点にもなった。しかし1853年以来フランス領となり、64年から30年にわたってその流刑植民地として4万人の囚人がフランスから送られた。この間、1863年に、フランス人技師ガルニエがニッケル鉱を発見したことからこの島の歴史が変わった。周辺のメラネシア、ポリネシアの各地はもとより、ヨーロッパ、アジア各地からも労働者を集めることとなり、日本からも1892年(明治25)以来多数の入植者があった。

 ニッケル鉱の生産高は世界有数、埋蔵量は世界一、その輸出先はフランスに次いで日本が2位である。そのほか、クロムマンガン、金、銀、鉛などの鉱産資源に富み、全島の山地を削り取っている。鉱産物の搬出のために西岸を海岸道路が走り、そこから東への横断路もできて、両岸に積出し港も多い。ヌーメアのほかに、西岸のブライユBourail、コネKoné、クマックKoumac、東岸のチオThioなどがその中心地。ヌーメア空港はトンツータTontoutaにある。サンゴ礁に囲まれた「常夏の島」として、観光地としても優れているが、農業は盛んでないので食糧を輸入している。

[大島襄二]

独立へ向けて

1960年代末よりメラネシア系住民のなかから独立運動が芽生え、1981年のフランス本国でのミッテラン社会党政権誕生後、自決権構想が生まれた。84年、フランス議会が89年に自決権国民投票を実施することを決めて以後、その時期や投票資格をめぐって独立運動が激化し、独立派は1984年11月のニュー・カレドニア議会選挙をボイコットした。運動の中心となったカナク社会主義解放戦線(FLNKS)は「カナーキ国」臨時政府を樹立したが、独立に反対するフランス系住民と対立して混乱を深めた。フランス政府は85年初頭、同年7月の住民投票を経て86年1月1日の独立を提案したが、臨時政府が拒否して混迷が続いた。1998年にはフランス政府との間で、15~20年後に独立の是非を問う住民投票を実施するとの内容を盛り込んだ、ヌメア協定に合意している。

[大島襄二]

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百科事典マイペディア 「ニューカレドニア」の意味・わかりやすい解説

ニューカレドニア[島]【ニューカレドニア】

南西太平洋,オーストラリア東方に位置する北西から南東に細長い仏領の島。フランス語ではヌーベル・カレドニー。行政上は周辺のパイン諸島,ローヤルティ諸島などを加える。ニッケル鉱の産額は世界有数で,大部分は日本へ輸出する。クロム,鉄鉱も産する。他にコーヒー,コプラ,トウモロコシの農産もある。主都は南部のヌーメア。 1774年クックが来航した。1853年フランスが占領し,19世紀後半流刑植民地として政治犯が送られた。先住民のカナク人による独立運動がカナク社会主義民族解放戦線(FLNKS)を中心に続けられており,1988年にはFLNKSと独立反対派との間で,1998年に独立の是非を問う住民投票を行う,とのマティニョン協定が結ばれ,協定はフランス,ニューカレドニア双方の住民投票で承認された。さらに1998年には,今後15〜20年かけて徐々に自治を拡大していき,最終的には独立の是非を問う住民投票を新たに実施する,とのヌーメア協定がフランス政府,FLNKS,独立反対派の間で結ばれ,住民投票でもこの合意が支持された。1万8575km2。26万8767人(2014)。
→関連項目カナカフランス南太平洋委員会南太平洋フォーラムメラネシアローヤルティ[諸島]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ニューカレドニア」の意味・わかりやすい解説

ニューカレドニア
New Caledonia

南太平洋南西部にあるフランス海外領。フランス語ではヌーベルカレドニー Nouvelle-Calédonie。ニューカレドニア島ロワヨテ諸島パン島,ベレップ島のほか,チェスターフィールド諸島,ヒュオン島,ウォルポール島などの無人島を含む。主島ニューカレドニア島が面積,人口とも 80%以上を占める。首都はヌメア。1774年にジェームズ・クックが来航,1853年にフランス領となり,1864~97年の流刑植民地や島民抗争の時期を経て,1946年にフランス海外領となった。フランスからの総督のもとに現地行政機関があり,1976年にさらに内政自治が強化された。しだいに独立運動が盛んになり,1988年より独立派,反独立派,フランス政府の 3者間で,独立の是非や自治権拡大についての協議が始まった(→ニューカレドニア独立運動)。自給農業のほか主産業はニッケルの採掘と精錬で,次いで観光,牧牛,コーヒー,ココナッツ栽培,木材生産などがある。ニッケル鉱および精錬ニッケルは輸出額のほとんどを占め,フランス,日本,アメリカ合衆国などへ輸出される。住民はメラネシア系のニューカレドニア人,ヨーロッパ系住民,そのほか (おもにベトナム,インドネシア,フランス領ポリネシア,ワリス諸島などからの移入労働者) である。周辺のサンゴ礁は,その生物多様性と生態系を評価され,2008年世界遺産の自然遺産に登録された。面積 1万8575km2。人口 25万5000(2011推計)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ニューカレドニア」の解説

ニューカレドニア
New Caledonia

オーストラリア大陸の東,南西太平洋にあるメラネシアの島。1774年クック(ジェームズ)がヨーロッパ人として初めて来航。1853年フランス領となり,64年から流刑民が送られた。1960年代から先住民による独立運動が激しくなり,独立に反対するフランス系住民と対立しているが,膨大なニッケル鉱山の存在が問題を複雑にしている。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ニューカレドニア」の解説

ニューカレドニア
New Caledonia

オーストラリアの東にあるフランス領の島
1774年クックが発見。1853年フランス領とされる。現在でも世界有数のニッケルの大産地である。

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