狂言の曲名。女狂言。絵師の金岡が狂気して洛外をさまよっているので,心配した妻が理由を問うと,金岡は,過日御殿へ絵を描きに参内したとき会った美しい女中への恋心ゆえと答えて落涙する。妻は怒って,女の美しいのは化粧のためだから,私の顔を得意の絵筆で絵どってみよという。金岡は言われるままに妻の顔に彩色を始めるが,かえって奇妙な顔になるので,絵筆を捨て,妻を突き倒して逃げ,追い込まれる。登場人物は金岡と妻の2人で,シテは金岡。ほかに地謡と囃子(笛,小鼓,大鼓)が加わる。現行曲としては和泉流にだけある。《花子(はなご)》《釣狐(つりぎつね)》につぐ大曲扱いされ,とくに近年は〈替(かえ)ノ型〉の小書(こがき)演出が定例化している。シテは一セイの囃子で,狂い笹を肩にして登場し,小歌に託して恋心をうたいあげる。狂乱の場面と顔の彩色の場面と2度にわたりカケリが舞われる。滑稽で卑俗な内容を品位を失わずに演じるのが心得とされる。
執筆者:羽田 昶
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
狂言の曲名。女狂言。和泉(いずみ)流だけの曲。絵師の金岡が物狂(ものぐる)いとなり、京都郊外をさまよっていると聞き、妻が清水(きよみず)の境内で待っていると、「……恋や恋、われ中空(なかぞら)になすな恋」と謡いながら、金岡(シテ)が正気を失った態で現れる。妻が狂気したわけを尋ねると、先ごろ御殿で見そめた美しい女中が忘れられないためだというので、女の美しいのは化粧のせいであるから得意の絵筆で思い人のように自分の顔を絵取るように勧める。金岡もその気になって舞いながら妻の顔に彩色するが、ついに「……恋しき人の顔には似いで、狐(きつね)の化けたに異ならず」と謡って妻を突き倒し、追い込まれる。巨勢金岡(こせのかなおか)は平安前期の高名な宮廷画家。狂乱の謡がむずかしく、品位も必要で至難の曲。歌舞伎(かぶき)舞踊『保名(やすな)』には本曲の影響が認められる。
[小林 責]
…そのほか880年(元慶4)唐本によって孔子およびその門人たちの像を大学寮に写し(《江次第抄》),888年(仁和4)には御所の南庇の障子に,弘仁(810‐824)以後の詩にすぐれた日本の儒者の姿を図した(《扶桑略記》)ことが知られている。また有名な伝説として,仁和寺御室において金岡が描いた壁画の馬が,夜々近所の田を荒らすので,その目をくり抜いて難をのがれたという話などが挙げられる。中国的主題や技法による唐絵を描くとともに神泉苑の実景や日本の儒者をも描き,その画風は〈新様〉と呼ばれていることから,唐風一辺倒の当時の絵画界に日本風を吹きこんだ最初の画家といえよう。…
…主産業は農業で,米は郡内一の生産高を誇る。北部の金岡地区の洪積台地は国営総合開拓パイロット事業で開田され,大規模経営が行われている。東部の下岩川地区では林業も盛んである。…
※「金岡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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