和泉流(読み)イズミリュウ

デジタル大辞泉 「和泉流」の意味・読み・例文・類語

いずみ‐りゅう〔いづみリウ〕【和泉流】

狂言流派の一。慶長(1596~1615)のころ、山脇和泉守元光、その子元宣の代に成立尾張藩加賀藩保護を受け、宮中にも出仕した。野村派・三宅派などがある。

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精選版 日本国語大辞典 「和泉流」の意味・読み・例文・類語

いずみ‐りゅういづみリウ【和泉流】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 能狂言の一流派。近世、慶長の頃、山脇和泉守元光およびその子元宣の創始といわれる。大正五年(一九一六)一一代和泉元照没後、養嗣子として和泉保之がこれを継ぎ、また、このもとに野村派、三宅派などがある。
  3. 近世における船の設計法である木割法の一流派。軍船と荷船の木割法があって、ともに「尋掛(ひろがか)り」を主とし、近世初期より瀬戸内方面で行なわれたが、境井流、唐津流などの主流からみれば傍流であった。

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改訂新版 世界大百科事典 「和泉流」の意味・わかりやすい解説

和泉流 (いずみりゅう)

狂言の流派の一つ。江戸時代は名古屋,京都に勢力を持っていたが,現在の活動は東京を中心としている。室町中期の江州坂本の隠士佐々木岳楽軒を流祖とし,その芸系が6世鳥飼和泉守元光まで伝えられてきたと伝承するが確かでない。和泉守は手猿楽(素人猿楽)に与えられた受領号であり,摂津猿楽鳥飼座より出て京都で手猿楽の狂言として活動するようになったものと考えられる。元光は大蔵流鷺流の芸系に加えられる日吉満五郎の教えを受けたと伝えられ,両流と同じ芸系にあることになる。元光の子山脇和泉元宜(もとよし)が1614年(慶長19)に尾張徳川藩に召し抱えられ,野村又三郎三宅藤九郎らを傘下に加えて流儀を確立し,禁裏への参勤を主として京都での活動を続け,京流とも呼ばれた。宗家は代々山脇和泉と称し,元宜の後,元永・元信と継ぎ,元知の代に名古屋へ移住,元政・元喬・元貞・元業・元賀と継ぎ,明治時代になって元清が東京へ移住,元照・元康と継いだが中絶した。芸統は弟子家によって支えられ,1943年に三宅藤九郎の長男保之が19世宗家を継ぎ,79年和泉元秀と改めて今日に至っている。弟子家には,元宜の代以来の野村又三郎家・三宅藤九郎家,三宅家の弟子であった野村万蔵家などがあるほか,明治以後名古屋に残っていた宗家の弟子たちが狂言共同社を結成して現在も活動している。能楽協会に登録された和泉流の狂言師は現在,20余名である。流儀の台本は代々の宗家,各弟子家のものがあるが,天理図書館蔵《狂言六義(りくぎ)》(通称《天理本》,江戸初期成立)が最古本で,222曲を収め,中世の狂言をうかがわせる貴重な資料である。現行曲は254曲で,《天理本》以来演出の変化はあるが曲目の変化はあまりない。大蔵流・鷺流よりかなり多くの狂言を伝え,《隠狸》《若菜》など固有曲も少なくない。その中には歌謡を中心とした狂言が目立ち,他流派と共有する狂言に歌謡を加えたものもあり(《水汲》など),京都の観客の好みを反映したものと考えられる。〈町風(まちふう)の狂言〉と言うべきものであろう。芸風も〈町風の狂言〉らしく,明るく写実的で柔らかみがあり,大蔵流との大きな差異は認められない。

京都の手猿楽の狂言であった野村又三郎重信が和泉流樹立に際して客分として迎えられ,一派を成したものらしく,独自の台本を持っていた。3世信明の代に尾張徳川藩に召し抱えられたが,京都で活動を続けた。明治維新後,名古屋・東京と移住,11世(12世とも)又三郎(1921-2007)が名古屋を中心に活躍した。

京都の手猿楽の狂言であった三宅藤九郎が和泉流樹立に際して客分として迎えられ,一派を成したものらしく,独自の台本を持っていた。3世喜納の代に加賀前田藩に召し抱えられたが,京都で活動を続けた。明治維新後,7世庄市が弟子の野村与作と共に上京,東京での和泉流の地歩を築き,信之が8世を継いだが中絶,野村万蔵家の5世万造の次男万介が1936年再興して9世となった。9世藤九郎,その息和泉元秀(現,和泉流宗家)・三宅右近らが東京を中心に活躍し,現在の藤九郎は10世。

初世野村万蔵保尚はもと加賀前田藩の狂言師で,三宅藤九郎家に師事した。明治中期に5世万造(万斎)が上京,しだいに重きを成した。長男は6世野村万蔵を,次男は9世三宅藤九郎を継いで流儀の中心となった。1978年万蔵は没したが,その息万之丞(7世万蔵)・万作・万之介らが東京を中心に活躍し,現在の万蔵は9世。
狂言
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「和泉流」の意味・わかりやすい解説

和泉流
いずみりゅう

狂言の流儀。宗家山脇(やまわき)和泉家は、室町中期に近江(おうみ)国(滋賀県)坂本に住んでいた佐々木岳楽軒(がくらくけん)を流祖とするが、のち摂津国(大阪府)の淀(よど)川河畔にあった鳥飼猿楽(とりかいさるがく)の狂言方になったらしい。同座衰微後、江戸初期に京都へ出て活躍していた宗家7世山脇和泉守(いずみのかみ)元宜(もとよし)が、同じく京都の有力な狂言方であった三宅藤九郎(みやけとうくろう)家と野村又三郎家を傘下に収めて流儀を確立、山脇和泉家と野村家は尾張(おわり)徳川藩の、三宅家は加賀前田藩の禄(ろく)を受けながら禁裏御用も勤めたが、江戸時代を通じ流勢は京坂、名古屋、金沢、および野村家の弟子家があった熊本に限られていた。明治維新後、東京遷都に伴い、禁裏御用の流儀であった縁により三宅藤九郎家をはじめとし、山脇和泉家ほか各地の名家も東京に集まったが、多くは後継が絶えた。東京の和泉流は、金沢から上った三宅家の弟子筋である5世野村万造(隠居名、萬斎(まんさい))の長男6世野村万蔵(まんぞう)と次男で師家を継いだ9世三宅藤九郎の門葉が独占し、それぞれの流れをくむ後継者が活躍している。ほかの地では名古屋に同地和泉流の伝統を守る狂言共同社、金沢に北陸狂言会がある。

[小林 責 2019年2月18日]

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百科事典マイペディア 「和泉流」の意味・わかりやすい解説

和泉流【いずみりゅう】

狂言の流派。幕府にかかえられた大蔵流鷺流に対し,尾張藩に属し,また宮中に出仕した。徳川義直に仕えた山脇和泉元宜を流祖とするが,それ以前からあった。宗家は山脇姓を名乗ったが,19世元秀(9世三宅藤九郎の子)から和泉姓となった。東京に三宅藤九郎家,野村万蔵家,名古屋に野村又三郎家,狂言共同社がある。流風は柔軟,写実の風が強い。
→関連項目狂言

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「和泉流」の意味・わかりやすい解説

和泉流
いずみりゅう

狂言の流派の一つ。流祖は近江国坂本の隠士佐々木岳楽軒と伝えられる。流儀の確立者で事実上の初代は山脇和泉守元宜で,慶長 19 (1614) 年尾張藩徳川義直に仕えて以来,禁裏御能にも出仕し,代々山脇和泉を称した。一門に加賀藩かかえ京都在住の三宅藤九郎家と尾張藩かかえの野村又三郎家および三宅家の弟子筋にあたる野村万蔵家がある。明治維新以後,宗家山脇元清は上京したが,芸を発揮できないまま没し,子の山脇元照も 1916年に早世して一時宗家は中絶した。 1940年に元照の妹婿が宗家となったが3年後に能楽界を去り,9世三宅藤九郎の長男保之が跡を継いで和泉と改めた。

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