日本大百科全書(ニッポニカ) 「金星探査機」の意味・わかりやすい解説
金星探査機
きんせいたんさき
金星は太陽からの距離が地球から太陽までの約3分の2で、大気は二酸化炭素が主成分で大気圧は90気圧、二酸化硫黄の雲からは硫酸の雨が降り注いでいる。厚い大気で覆われている表面はつねに気温400℃以上の過酷な環境の惑星である。金星探査の歴史は1960年代からアメリカ(マリナー、パイオニア、マゼラン計画など)と、ソビエト連邦(ソ連)(ベネラ、スプートニク、ベラ計画など)が競うように多くの探査機を打ち上げてきたが、フライバイ(近傍通過)も含めて金星探査は1960年代前半までは失敗の連続であった。
アメリカのマリナー2号は1962年12月に金星への接近に成功し、金星の高い大気圧と遅い自転周期、磁場が非常に弱いことなどを確認した。1978年にはパイオニア12号(パイオニア・ビーナス1号)と13号(同2号)を打ち上げた。12号には赤外放射計や画像レーダーなど12種類の科学観測装置が搭載され、大気温度、水蒸気分布、表面の地形、雲の分布などの観測を行った。13号は4機のプローブ(突入探査機)をもつ探査機で、大気の直接サンプリングを行い、雲の構造、大気の構造と成分、熱平衡、大気循環、太陽風の干渉などを観測した。1989年には金星のレーダー探査を目的として、スペースシャトルでマゼランを軌道に投入した。搭載した合成開口レーダーを使って金星表面の98%を解像度75~100メートルの詳細な立体画像として撮影し、また金星全体の95%の重力場分布計測を行った。
ソ連は、1967年のベネラ3号までは失敗の連続であったが、7号は1970年に初めて金星に着陸機を着陸させた。ベネラは16号機まで継続したのちベガ計画に引き継がれたが、1986年以降、ソ連は金星探査を中断している。
2005年に打ち上げられたESA(イーサ)(ヨーロッパ宇宙機関)のビーナス・エクスプレスは、金星周辺の宇宙放射線や磁場の計測を行うとともに、金星の南極付近の渦の動態やオゾン層も発見した。
日本の宇宙航空研究開発機構(JAXA(ジャクサ))が2010年(平成22)に打ち上げた「あかつき」は、当初は金星周回軌道投入に失敗したが、2015年に金星周回軌道への再投入に成功し、2016年から観測が開始された。
[森山 隆 2017年6月20日]
『松井考典著『探査機でここまでわかった太陽系――惑星探査機とその成果』(2011・技術評論社)』▽『大島武・佐々木得人著「金星探査機「あかつき」の開発」(『NEC技報』2011年3月「宇宙特集」所収・NECデザイン&プロモーション株式会社)』