日本大百科全書(ニッポニカ) 「パイオニア計画」の意味・わかりやすい解説
パイオニア計画
ぱいおにあけいかく
アメリカの惑星および惑星間空間の探査計画。1958年に始められ、パイオニアPioneer探査機として1号から11号まで、パイオニア・ビーナス探査機として1号、2号があり、計13機が打ち上げられた。パイオニア探査機の1号、2号は失敗に終わり、3号はロケットエンジンが計画どおりの燃焼をせず失敗ではあったが、バン・アレン帯の貴重なデータを送ってきた。4号、5号は太陽軌道に投入され、太陽風や惑星間磁場の観測を行った。約5年の中断ののち、1965年12月にパイオニア計画は6号から再開された。その後1968年までに7号、8号、9号機まで打ち上げられ、いずれも太陽軌道に投入された。これらの探査機は太陽風と惑星間空間の磁場や宇宙線の観測を行った。この結果、地球磁場の形や太陽風の周期とその渦巻状パターンなどが明らかにされた。
パイオニア10号は1972年3月、人類初の外惑星探査を目ざして打ち上げられた。木星以遠は太陽からの距離が遠いため太陽電池は使えず、原子力電池が使われた。また、スピン安定により姿勢を保持し、姿勢制御用燃料の節約を図った。地球との距離が長大な、深宇宙からの通信のため大きな皿型アンテナを備えていた。1973年12月、木星から13万0300キロメートルの距離まで接近し、300枚の写真を送ってきた。そして、1983年6月13日海王星軌道を通過し、1997年3月31日通信がとだえ、ミッション終了とされた。しかし、地上受信装置の改良により2003年1月まで通信機能の存在が確認されていた。距離の限界により通信が途絶したが、探査機本体は健全なまま遠ざかっていったと推定されている。同機は初めて木星に到達するとともに、太陽系外に出る人類最初の宇宙機となった。パイオニア11号は1973年4月に打ち上げられ、1974年12月に木星から約4万3000キロメートルの地点を通過し、多くのクローズアップ写真を送ってきた。そして1979年9月、土星の外側の環(わ)から3万4000キロメートルのところを通過し、その構造に関する情報をもたらした。さらに、11号は1990年2月23日海王星軌道を通過し、1995年11月24日に通信がとだえた。10号、11号には、太陽系から出てはるかかなたの宇宙空間で地球外文明に発見される可能性を考え、太陽系や人間の男女を描いたパネルが搭載されている。
パイオニア・ビーナス1号は1978年5月に打ち上げられ、金星を回る軌道に投入されて、金星周辺の空間と表面のレーダー観測を行った。パイオニア・ビーナス2号は同年8月に打ち上げられ、金星に近づいたところで四つの円錐(えんすい)形の探査機(プローブ)を打ち出した。母機を含めて5機の探査機は、すべて計画どおり金星大気に突入し、広い範囲の大気の密度と構成に関するデータを送ってきた。
[輿石 肇・岩田 勉]