金正喜(読み)きんせいき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「金正喜」の意味・わかりやすい解説

金正喜
きんせいき
(1786―1856)

朝鮮、李朝(りちょう)後期の実学者。書芸、金石学の巨匠。慶尚道慶州の人。字(あざな)は元春。号は阮堂(がんどう)、秋史。名門に生まれ、当代随一の実学者朴斉家(ぼくさいか)(1750―1815?)の指導を受けて学問を磨いた。25歳のとき北京(ペキン)を訪れ、鴻儒(こうじゅ)翁方綱(おうほうこう)、阮元(げんげん)らと交わり、「経学文章は海東第一」と瞠目(どうもく)させた。帰国後も親交を受け、金石学、書画、経学の各分野でその影響を受けつつ、真興王巡狩碑(しんこうおうじゅんしゅひ)の発見(『金石過眼録』)、秋史体の書法、実事求是(きゅうぜ)説など多くの業績を残した。

小川晴久 2016年10月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「金正喜」の意味・わかりやすい解説

金正喜 (きんせいき)
Kim Chǒng-hǔi
生没年:1786-1856

朝鮮,李朝後期の実学者,金石学者,書芸家。字は元春,号は秋史,阮堂。はやくからその書芸と経学の才を北学派の朴斉家に認められ,彼の薫陶の下にその学問をみがいた。24歳のとき副使となった父について北京に旅行し,翁方綱(《四庫全書》の編纂者の一人,当時78歳)と阮元(《皇清経解》の編者,当時49歳)の二大碩学の知遇を受けたことが,彼の学問の範囲と方法を決めた。晩年,前後12年の流配(済州島に8年)にあったが,訓詁学漢学)を道具に性理学(宋学)に至る漢宋兼備の〈実事求是説〉を堅持して,経学(礼,易),金石学,書芸に研鑽を積んだ一生であった。彼の書体は〈秋史体〉といわれ《千字文》等識字書道手本として広く親しまれてきた。
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世界大百科事典(旧版)内の金正喜の言及

【書】より

…また許穆(きよぼく)は篆書で名を成した。後期に入ると申緯が董其昌風で当時の書風を一変させたが,書の革新を果たしたのが金正喜(秋史,阮堂,礼堂。1786‐1856)で,清の翁方綱,阮元の影響をうけ《金石過眼録》を著した。…

※「金正喜」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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