鈴木梅四郎(読み)すずきうめしろう

改訂新版 世界大百科事典 「鈴木梅四郎」の意味・わかりやすい解説

鈴木梅四郎 (すずきうめしろう)
生没年:1862-1940(文久2-昭和15)

政治家実業家信濃国上水内郡に生まれる。慶応義塾に学んだのち,1884年時事新報社に入り,88年横浜貿易新報社社長を経て三井銀行に入社し,横浜・神戸支店長を歴任。1902年王子製紙専務取締役となり,北海道苫小牧工場建設尽力,病を得て退職した。在任8年間に地方工場付属医療施設を地元住民に開放した経験から,実費診療でも経営が成り立ち,下層・中等階級の没落を防ぐ医療を目指した社団法人実費診療所を,医師加藤時次郎と協力して11年東京京橋に設立したのを手始めに,医療の社会化運動の先駆的役割を担い,晩成社を興して育英事業にも尽くした。一方12年以来,衆議院議員に5回当選,立憲国民党に所属した。著作に《名護町貧民窟視察記》《医業国営論》《医療の社会化運動》などがある。
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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「鈴木梅四郎」の解説

鈴木 梅四郎
スズキ ウメシロウ


肩書
衆院議員(立憲政友会)

生年月日
文久2年4月(1862年)

出生地
信濃国(現・長野県)

学歴
慶応義塾〔明治20年〕卒

経歴
時事新報記者、横浜貿易新報社長から三井銀行調査係長、横浜支店長を経て王子製紙専務。この間明治43年に苫小牧に新聞用紙専門工場を建設した。日本殖民会社社長を兼任。晩成社を設立、育英事業に尽力。また社団法人実費診療所を創立した。45年に衆院議員に立ち当選5回。犬養毅国民党に属し党幹事長。他に第一火災保険、三越など数社の重役を兼ねた。著書に「平和的世界統一政策」「医業国営論」「昭和維新の大国是」「立憲哲人政治」「福沢先生の手紙」などがある。

没年月日
昭和15年4月15日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「鈴木梅四郎」の解説

鈴木 梅四郎
スズキ ウメシロウ

明治・大正期の政治家,実業家 衆院議員(立憲政友会)。



生年
文久2年4月(1862年)

没年
昭和15(1940)年4月15日

出生地
信濃国(現・長野県)

学歴〔年〕
慶応義塾〔明治20年〕卒

経歴
時事新報記者、横浜貿易新報社長から三井銀行調査係長、横浜支店長を経て王子製紙専務。この間明治43年に苫小牧に新聞用紙専門工場を建設した。日本殖民会社社長を兼任。晩成社を設立、育英事業に尽力。また社団法人実費診療所を創立した。45年に衆院議員に立ち当選5回。犬養毅の国民党に属し党幹事長。他に第一火災保険、三越など数社の重役を兼ねた。著書に「平和的世界統一政策」「医業国営論」「昭和維新の大国是」「立憲哲人政治」「福沢先生の手紙」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木梅四郎」の解説

鈴木梅四郎 すずき-うめしろう

1862-1940 明治-昭和時代前期の実業家,政治家。
文久2年4月26日生まれ。明治35年三井銀行から王子製紙にうつり,専務として苫小牧(とまこまい)工場の建設につくす。44年社団法人実費診療所を東京に設立した。45年衆議院議員(当選5回,政友会)。昭和15年4月15日死去。79歳。信濃(しなの)(長野県)出身。慶応義塾卒。号は呑天。著作に「医業国営論」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鈴木梅四郎」の解説

鈴木 梅四郎 (すずき うめしろう)

生年月日:1862年4月26日
明治時代;大正時代の実業家;政治家。衆議院議員;立憲国民党幹事長
1940年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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