明治・大正期の政党。1910年(明治43)3月13日憲政本党、又新会(ゆうしんかい)、無名会、戊申倶楽部(ぼしんくらぶ)の一部が合同して結成、立憲政友会に対抗した。犬養毅(いぬかいつよし)、大石正巳(まさみ)、河野広中(こうのひろなか)らが中心メンバーで、当初92名の代議士を擁し、責任内閣制、海軍拡張、税制整理(減税)などを強く主張。しかし第一次護憲運動の過程で分裂、改革派の大石ら約半数が脱党し桂(かつら)新党(立憲同志会)に参加した。残留派は犬養を党首として結束し護憲運動の先頭にたったが、以後の党勢は不振で第三党にとどまった。20年(大正9)以後普通選挙法を主張したものの党勢を挽回(ばんかい)できず、22年9月1日解党、11月無所属議員と革新倶楽部を結成した。
[阿部恒久]
『木堂先生伝記刊行会編『犬養木堂伝 上・中巻』(1938、39・東洋経済新報社)』
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明治末~大正期の政党。1910年(明治43)3月,憲政本党を軸に又新会(ゆうしんかい)・無名会などが合同して成立。結党当時の所属衆議院議員数92人。憲政本党当時から表面化していた大石正巳(まさみ)・武富時敏(ときとし)・箕浦勝人(みのうらかつんど)らの改革派と犬養毅(いぬかいつよし)率いる非改革派との対立が激化し,改革派は大正政変に際して桂新党(のちの立憲同志会)に参加,非改革派は憲政擁護運動に重要な役割をはたしたが,立憲国民党自体は第3党に転落した。犬養は臨時外交調査委員会に参加し,普通選挙運動に同調するなど努力したものの党勢は振わず,20年(大正9)の第14回総選挙では29議席に凋落。22年9月に解党し,11月に革新倶楽部に改組された。
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…明治・大正期の立憲国民党と第2次大戦後の国民党がある。(1)明治末期から大正時代にかけての政党。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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