鈴木清(読み)すずききよし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鈴木清」の意味・わかりやすい解説

鈴木清
すずききよし
(1943―2000)

写真家。福島県に生まれる。地元の高校の夜間部へ通いつつ印刷所に勤務。その後、漫画家を志望して上京。土門拳の写真集『筑豊のこどもたち』(1960)に触発され、東京綜合写真専門学校夜間部へ入学。1969年(昭和44)同校を卒業。学生時代の作品を『カメラ毎日』誌の編集者山岸章二(1928―79)に認められ、69年8月号から翌年2月号までの同誌にいわきをはじめとする全国各地の炭鉱町撮影した「シリーズ・炭鉱の町」を連載。以後、看板描きを職業としながら、フリーランスで写真活動を展開。

 炭鉱町の日常をとらえた作品群に、旅回りの大衆演劇一座に随行した折や、返還前の沖縄を訪ねた折のスナップショットなどを加え、72年に写真集『流れの歌』をまとめる。76年インドの宗教的な精神世界を主題とした写真集『ブラーマンの光』刊行。82年サーカス芸人の世界をとらえたシリーズと、ある路上生活者を主人公に数年にわたり撮影を続けてきたシリーズで構成された写真集『天幕の街』を刊行し、日本写真協会新人賞受賞。同年『日本カメラ』誌に1年間にわたり、文学作品からの引用テキストと自らが撮影した写真をコラージュした「gypsy wind・私の十二冊」を連載。84年から翌年にかけて、昭和初期の画家長谷川利行の足跡を追いかけた「荼毘(だび)の赤」シリーズを撮影。また80年代後半のバブル経済期に東京の路上や公園でさまざまな人間たちの表情をカラー撮影した写真をまとめ、91年(平成3)写真集『愚者の船』刊行。

 90年以降、詩人金子光晴がかつて放浪した足跡をたどってジャカルタマニラ、台北といった東南アジアの諸都市の光景を撮り歩き、それらの旅の写真から92年に写真集『天地戯場』を編む。同年個展「母の溟(なみだ)」(ニコンサロン、東京)で伊奈信男賞受賞。94年自分自身の起源を探る試みとして、故郷いわきの地や、父母がかつて生きた岩手や栃木の炭鉱町などで撮影した写真、および『流れの歌』に収めた写真からの引用などを交え、奔放なレイアウトで構成した写真集『修羅の圏』刊行、土門拳賞を受賞。98年フランスの小説家マルグリット・デュラスの作品に導かれ、ベトナムのメコン川下流地域、インドのカルカッタ(現コルカタ)、ラオスサバナケットで撮影を重ねたシリーズをまとめた写真集『デュラスの領土』刊行。99年個展「ISLAND SOUL――至福の島『ニューヨークへの旅』より」(ニコンサロン、東京)を開催。

[大日方欣一]

『『流れの歌』(1972・私家版)』『『ブラーマンの光』(1976・Sansara Books)』『『天幕の街』(1982・遊幻舎)』『『夢の走り 1982―1987 鈴木清写真集』(1988・Ocean Books)』『『愚者の船 東京・昭和61―63年』(1991・アイピーシー)』『『天地戯場』(1992・タマン・サリブックス)』『『修羅の圏 自伝』(1994・でく・ぶっくす)』『『デュラスの領土』(1998・G・サーガルブックス)』

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20世紀日本人名事典 「鈴木清」の解説

鈴木 清
スズキ キヨシ

昭和期の教育心理学者,体育心理学者 東京教育大学名誉教授。



生年
明治39(1906)年10月15日

没年
昭和57(1982)年9月2日

出生地
静岡県

学歴〔年〕
東京文理科大学心理学科〔昭和11年〕卒

学位〔年〕
文学博士〔昭和36年〕

主な受賞名〔年〕
勲三等旭日中綬章〔昭和52年〕

経歴
横浜国立大学教授を経て、昭和28年東京教育大学教授。45年退官し、東京女子体育大学学長、日本心理学会長を歴任著書に「教育心理学」など。この間文部省の教育研究開発協力者会議の座長や、49年には東京都立高校入学者選抜研究協議会長として、学校群制度の廃止・新学区制の採用に取り組んだ。


鈴木 清
スズキ キヨシ

昭和期の小説家 秋田県議(共産党)。



生年
明治40(1907)年4月29日

没年
平成5(1993)年2月18日

出生地
秋田県旭村(現・横手市)

学歴〔年〕
山形高中退

経歴
在学中、社会科学研究会に加わる。同盟休校を指導したことを理由に放校処分を受け、上京。東京合同労組書記を経て、東京モスリン亀戸工場の職工となる。日本共産党に入党し、工場細胞を組織して活動。昭和4年4.16(日本共産党弾圧)事件で検挙投獄され、6年5月保釈。この間、獄内で監房細胞を組織して活動を続けた。のち、34〜38年横手市議、46〜50年秋田県議を各1期務めた。日本共産党秋田県委員会名誉県委員。作家としても知られ、代表作に「監房細胞」がある。


鈴木 清
スズキ キヨシ

昭和期の陶芸家



生年
明治36(1903)年9月12日

没年
昭和42(1967)年10月6日

出生地
京都市

学歴〔年〕
京都市立陶磁器講習所〔大正13年〕修了

主な受賞名〔年〕
国画会賞〔昭和14年〕,日本現代陶芸展文部大臣賞(第1回)〔昭和27年〕「鉄絵秋草の図角皿」

経歴
洋画、彫刻などを制作したが、昭和10年国画会に陶芸作品を発表、国画会賞を受けて17年同会員となる。文展にも出品、16年特選。22年富本憲吉らと新匠美術工芸会を結成、会員。32年日本工芸会正会員となり、日本伝統工芸展にも出品、38年富本没後、新匠会の長老として活躍。


鈴木 清
スズキ キヨシ

大正・昭和期の解剖学者



生年
明治31(1898)年4月17日

没年
昭和42(1967)年1月16日

出生地
兵庫県

学歴〔年〕
大阪医科大学〔大正12年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和9年〕

経歴
大正15年京城帝大助教授となり、昭和8年欧州留学、教授で終戦。23年大阪市立医科大学教授、32年から医学部長を2期務め、36年和歌山医科大学学長、40年大阪女子大学学長。神経組織の染色法・鈴木氏鍍銀法で知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「鈴木清」の解説

鈴木清

没年:大正4.3.21(1915)
生年:嘉永1.4.29(1848.5.31)
明治大正期のキリスト者実業家。摂津国三田藩(兵庫県)の家臣の家に生まれる。明治維新後,神戸で書店の経営に失敗し,アメリカン・ボード宣教師J.D.デーヴィスによる伝道に感銘,明治7(1874)年に同じくアメリカン・ボード宣教師D.C.グリーンから洗礼を受け,摂津第一基督公会(神戸教会)の最初の会員となる。同13年,キリスト教主義の北海道開拓団赤心社を設立し,初代社長となる。牛肉缶詰業に成功し,製品を内外諸博覧会に出品し多くの受賞。神戸区議会議長,神戸商工会議所議員。キリスト教精神と愛国心に基づき,開拓事業に従事した人物。<著作>『北行日記』<参考文献>工藤英一『日本キリスト教社会経済史研究』,日本基督教団神戸教会編『近代日本と神戸教会』

(原島正)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鈴木清」の解説

鈴木清(1) すずき-きよし

1848-1915 明治時代の実業家。
嘉永(かえい)元年4月29日生まれ。明治7年D.グリーンから洗礼をうけ,摂津第一公会(現日本基督(キリスト)教団神戸教会)の設立にくわわる。九鬼隆義らの志摩三商会に入社後,独立して牛肉缶詰業で成功。13年北海道開拓のため赤心社をおこし社長となった。大正4年3月21日死去。68歳。摂津有馬郡(兵庫県)出身。著作に「北行日記」。

鈴木清(4) すずき-きよし

1907-1993 昭和時代の社会運動家,小説家。
明治40年4月29日生まれ。昭和3年山形高を中退し,上京。労働運動に参加し,翌年共産党に入党。四・一六事件で検挙され,6年秋田県にかえり日本プロレタリア作家同盟に加入,農民運動にもかかわる。戦後は党秋田県委員長,県会議員をつとめた。平成5年2月18日死去。85歳。秋田県出身。作品に「監房細胞」など。

鈴木清(2) すずき-きよし

1898-1967 大正-昭和時代の解剖学者。
明治31年4月17日生まれ。京城帝大教授をへて昭和23年大阪市立医大教授,32年同大医学部長,36年和歌山医大学長,40年大阪女子大学長となる。神経組織の染色法として鈴木氏鍍銀法を考案した。昭和42年1月16日死去。68歳。兵庫県出身。大阪医大(現阪大)卒。

鈴木清(3) すずき-きよし

1903-1967 昭和時代の陶芸家。
明治36年9月12日生まれ。国画会会員をへて,昭和22年富本憲吉の新匠美術工芸会結成に参加。32年日本工芸会正会員となり,日本伝統工芸展にも出品をつづけた。昭和42年10月6日死去。64歳。京都出身。京都市立陶磁器講習所卒。作品に「鉄絵秋草の図角皿」など。

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367日誕生日大事典 「鈴木清」の解説

鈴木 清 (すずき きよし)

生年月日:1907年4月29日
昭和時代の作家;評論家。エサ米研究全国連絡会代表委員;元・全日農副会長
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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