錦光山(読み)きんこうざん

精選版 日本国語大辞典 「錦光山」の意味・読み・例文・類語

きんこうざんキンクヮウザン【錦光山】

  1. 京都粟田(あわた)の陶家。またその製品もいう。正保一六四四‐四八)の頃開窯した。二代までは鍵屋と号し、三代目から錦光山を称して六代の頃から姓とした。宝暦五年(一七五五)以後岩倉山と共に幕府御用茶碗を焼き、ほか御鷹野茶碗やオランダ写しなどを作った。また、明治に至って磁器の海外輸出にもつとめた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「錦光山」の解説

錦光山(3代) きんこうざん

?-? 江戸時代中期の陶工
家業の京都粟田焼(あわたやき)窯元をつぐ。宝暦6年(1756)幕府御用茶碗(ちゃわん)師となり,天目茶碗,御鷹野(おたかの)茶碗を製作。また青蓮院宮(しょうれんいんのみや)の御用を命じられ,錦光山の名をもらい,以後代々錦光山を名のった。開祖小林徳右衛門からかぞえて3代とする。通称は喜兵衛,または茂兵衛。

錦光山(6代) きんこうざん

1823-1884 江戸後期-明治時代の陶工。
文政6年生まれ。家業の京都粟田焼(あわたやき)窯元をつぎ,小林の姓を錦光山とあらためる。青木木米(もくべい)から磁器の製法をまなぶ。維新のころ9代帯山(たいざん)与兵衛らとともに磁器の輸出をはじめ,京都の陶磁器輸出の端緒をひらいた。明治17年1月死去。62歳。名は宗兵衛。

錦光山(7代) きんこうざん

1868-1927 明治-大正時代の陶芸家。
慶応4年2月生まれ。家業の京都粟田焼(あわたやき)窯元をつぎ,宗兵衛を襲名色絵金襴手(きんらんで)を得意とする。先代につづいて輸出の振興をはかり,欧米を視察して製品の改良につくした。昭和2年6月20日死去。60歳。

錦光山(4代) きんこうざん

?-? 江戸時代中期の陶工。
家業の京都粟田焼(あわたやき)窯元をつぎ,幕府御用茶碗(ちゃわん)師をつとめる。オランダ写し,仁清(にんせい)風の色絵などをつくった。通称は喜兵衛。

錦光山(5代) きんこうざん

?-? 江戸時代後期の陶工。
家業の京都粟田焼(あわたやき)窯元をつぎ,幕府御用茶碗(ちゃわん)師をつとめる。オランダ写し,仁清(にんせい)風の色絵などをつくった。通称は喜兵衛。

錦光山(初代) きんこうざん

小林徳右衛門(こばやし-とくえもん)(初代)

錦光山(2代) きんこうざん

小林徳右衛門(こばやし-とくえもん)(2代)

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