鍋井 克之
ナベイ カツユキ
大正・昭和期の洋画家,随筆家
- 生年
- 明治21(1888)年8月18日
- 没年
- 昭和44(1969)年1月11日
- 出生地
- 大阪市西区
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校西洋画科〔大正4年〕卒
- 経歴
- 卒業制作「秋の連山」で二科賞を受賞後、大正11年に渡仏。帰国後の13年小出楢重らと共に大阪で信濃橋洋画研究所(のち中之島洋画研究所と改称)を設立、関西画壇の重鎮となる。戦後宮本三郎らと二紀会を結成。風景画を得意とし、昭和24年「朝の勝浦港」で芸術院賞を受賞。浪速短期大学教授、浪速芸術大学教授を務め、後進の育成にも尽くした。宇野浩二とは中学時代から親交し、その著書の大半の装幀を手がけ、画筆のかたわら随筆にも健筆をふるった。随筆集に「富貴の人」「寧楽雑帖」「閑中忙人」など。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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鍋井克之
なべいかつゆき
(1888―1969)
洋画家。大阪市生まれ。1915年(大正4)東京美術学校西洋画科を卒業し、同年二科展出品の『秋の連山』で二科賞を受ける。22~23年フランス、イタリアへ留学。帰国の年二科会員となり、翌年大阪に同志と信濃橋(しなのばし)洋画研究所を創設する。46年(昭和21)二紀会の結成に参加。49年度の日本芸術院賞を受賞し、58年には大阪市民文化賞となにわ賞を受けた。強烈な色彩と動勢のフォーブ的な風景画で知られ、代表作に『朝の勝浦港』(1949)ほかがある。著書『大阪繁盛記』ほか。
[小倉忠夫]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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鍋井克之 なべい-かつゆき
1888-1969 大正-昭和時代の洋画家。
明治21年8月18日生まれ。大正4年「秋の連山」で二科賞。フランスなどに留学後,12年二科会会員となり,13年小出楢重(ならしげ)らと大阪に信濃橋洋画研究所を設立。昭和22年第二紀会の結成にくわわる。25年「朝の勝浦港」などで芸術院賞。39年浪速(なにわ)芸大教授。昭和44年1月11日死去。80歳。大阪出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。旧姓は田丸。作品はほかに「熊野詣(くまのもうで)絵巻」(壁画)など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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鍋井 克之 (なべい かつゆき)
生年月日:1888年8月18日
大正時代;昭和時代の洋画家;随筆家
1969年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の鍋井克之の言及
【明治・大正時代美術】より
…また坂本繁二郎は,東洋的な,浪漫的な心情を,光と影の色面に表現する独自の絵画世界をつくりだした。このほか二科会は,熊谷守一(もりかず)(1880‐1977),正宗得三郎(1883‐1962),中川紀元(きげん)(1892‐1972),鍋井克之(1888‐1969),小出楢重,国枝金三(1886‐1943),黒田重太郎(1887‐1970),林倭衛(しずえ)(1895‐1945),硲(はざま)伊之助(1895‐1977),関根正二,古賀春江,東郷青児(1897‐1978)ら,大正・昭和期の洋画界をリードする数多くの新人を世に出している。 二科会結成と同じ年,前年世を去った岡倉天心の一周忌を期して,日本画の横山大観,下村観山,木村武山(1876‐1942),安田靫彦,今村紫紅に洋画の小杉放庵を加えて,開店休業状態になっていた日本美術院が,洋画部も新たに設けて再興されている。…
※「鍋井克之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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