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小出楢重 こいで ならしげ

美術人名辞典の解説

小出楢重

洋画家。大阪生。東美校卒。第4回院展出品。二科会会員。大正13年より鍋井克之等とともに信濃橋洋画研究所を創設し後進を指導。関西洋画壇の指導者として活躍した。昭和6年(1931)歿、45才。

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デジタル大辞泉の解説

こいで‐ならしげ【小出楢重】

[1887~1931]洋画家。大阪の生まれ。裸婦を多く描き、要約されたボリュームの処理と油絵の粘りと輝きを生かしたマチエールで独自の画境を開いた。

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百科事典マイペディアの解説

小出楢重【こいでならしげ】

洋画家。大阪市生れ。東京美術学校日本画科入学後,西洋画科に転じ1914年卒業。1919年《Nの家族》で二科展樗牛賞,翌年《お梅の像》で二科賞を受けた。1921年約6ヵ月滞仏し,岸田劉生風の重々しい画風から単純な形態と新鮮で明快な作風に変わった。
→関連項目芦屋市立美術博物館長谷川三郎

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小出楢重 こいで-ならしげ

1887-1931 大正-昭和時代前期の洋画家。
明治20年10月13日生まれ。大正8年二科展で「Nの家族」が樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞。フランス留学後,12年二科会会員となる。13年鍋井克之(なべい-かつゆき)らと大阪に信濃橋洋画研究所を創立。裸婦像を多数えがき,また挿絵,ガラス絵も手がけた。昭和6年2月13日死去。45歳。大阪出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。作品に「裸女結髪」「支那寝台の裸女」など。
【格言など】裸体をかく時にも私は決して理想的なものを求めたくない。各のモデルに各様の味があるのだから面白い,人の顔が各違っている如くに

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世界大百科事典 第2版の解説

こいでならしげ【小出楢重】

1887‐1931(明治20‐昭和6)
洋画家。大阪に生まれる。1914年東京美術学校西洋画科卒業。はじめ日本美術院洋画部に出品したが,19年第6回二科展で《Nの家族》が樗牛賞,翌年《少女お梅の像》が二科賞を受ける。21‐22年滞仏。23年二科会会員となり,翌年鍋井克之,黒田重太郎らと大阪に信濃橋洋画研究所を創立。27年には全関西洋画展を興し,関西洋画壇の指導者として活躍,初期の写実的な作風から,要約した形体と流麗な色調によって独自の様式化した画風を作り,大正から昭和初期にかけての日本洋画の水準を示したが,特に裸婦像に秀作が多い。

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大辞林 第三版の解説

こいでならしげ【小出楢重】

1887~1931) 洋画家。大阪生まれ。裸婦像に秀作が多い。代表作「支那寝台の裸女」ほか。「めでたき風景」などの随筆もある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

小出楢重
こいでならしげ

[生]1887.10.13. 大阪
[没]1931.2.13. 大阪
洋画家。幼時より上方文化を通じ日本的伝統に親しんで画家を志し,1907年東京美術学校日本画科に入学,のち西洋画科に転じ,14年卒業。 19年第6回二科展で『Nの家族』 (大原美術館) が樗牛賞を受け,20年には『少女於梅像』 (ブリヂストン美術館) が二科賞を得て二科会会友となった。 21年から翌年まで半年間渡欧してパリや南フランス各地で制作。帰国後は,23年二科会会員となり,翌年鍋井克之らと大阪に信濃橋洋画研究所を創立し,関西洋画壇の指導者として活躍。大正末期頃から裸体画に専念し,初期の重苦しい写実から次第に明快な色調をもつ独自の作品を制作。また素描,ガラス絵,挿絵,随筆などにも多彩な才能を発揮。主要作品『支那寝台の裸女』 (1930,大原美術館) ,『前向きの裸女』 (30) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小出楢重
こいでならしげ
(1887―1931)

洋画家。明治20年10月13日大阪市に生まれる。1907年(明治40)東京美術学校日本画科に入り、のち白馬会(はくばかい)の原町洋画研究所に学び、西洋画科に転じて14年(大正3)に卒業する。大阪に帰り、院展洋画部に出品ののち、19年、初めて二科展に出品した『Nの家族』で樗牛(ちょぎゅう)賞を受け、翌年は『少女於梅(おうめ)像』で二科賞を受け、二科会会友となる。21~22年渡欧して、ドイツや南仏にも旅行し、帰国の翌年二科会会員となる。鍋井克之(なべいかつゆき)ら関西在住の二科会員たちと大阪に信濃橋(しなのばし)洋画研究所を設けて後進を育成し、昭和初めには新発足の全関西洋画展で指導的立場にたった。以後しだいに裸婦の制作が多くなり、『横たわる裸身』『支那(しな)寝台の裸女』などに要約したボリュームの処理と油彩の粘りと輝きを生かし、近代日本の裸体画表現に独自の画境を確立した。またガラス絵にも長じ、谷崎潤一郎の新聞小説『蓼喰(たでく)ふ虫』ほかの挿絵を手がけたり、『楢重雑筆』『めでたき風景』『大切な雰囲気』などの随筆集を刊行したり、多才ぶりを発揮した。昭和6年2月13日、44歳で没。[小倉忠夫]
『『日本の名画17 小出楢重』(1976・中央公論社)』

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世界大百科事典内の小出楢重の言及

【宇野浩二】より

…饒舌体の文章で物語るユーモアとペーソスを基調とした作風であった。《軍港行進曲》(1927)発表後,精神異常に陥るが,やがて回復,大阪の画家小出楢重とのかかわりを軸にした《枯木のある風景》(1933)により文壇に復帰,作風も叙述体に変わり,《枯野の夢》《子の来歴》(ともに1933),《器用貧乏》などを発表,戦後の代表作は《思ひ川》(1948)である。随筆的評論も巧妙で《芥川竜之介》は力作。…

※「小出楢重」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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