( 1 )鉄砲伝来以降、武器の一種として伝わった。ヨーロッパでは通信用として、軍の進退などを示すために打ち上げたというが、日本では、当時の火術専門家がこれを軽視し、民間の技となった。
( 2 )慶長一八年(一六一三)、徳川家康が、唐人の上げた娯楽用の花火を見物したといい、その頃より花火師が現われた。町では、ねじり、線香、流星、鼠などの子ども用の花火も流行したが、瓦屋根が少ない江戸の町では火事の元ともなり、町中で打ち上げることに対する禁令が度々出された。
( 3 )場所を水際に限られてからも人気は衰えず、元祿の頃には町人の花火師による茶屋花火、花火船などで賑わった。その時期が旧暦五月二八日から八月二八日に定められたので、その初日を「川開き」と称し、隅田川の両国橋付近で大花火をあげるようになった。
( 4 )花火の季節について、江戸時代の俳書はおおむね秋とする。盂蘭盆の景物であったためと思われる。だが、花火が盆の行事というよりむしろ納涼の催しとなったことなどから、夏の季題の感じが強くなった。
火を扱う技術を一般に火術というが、そのなかでも芸術的な分野をなすものを花火という。すなわち花火は、火薬などが爆発しまたは燃えるときの光、火花、火の粉、音、煙などを巧みに組み合わせて、主として観賞の用に供するもので、その現象そのものをさすこともあれば、その現象を現すようにつくられた品物をさすこともある。花火は公的用語としては「煙火(えんか)」といわれ、その製造、貯蔵、販売等は火薬類取締法によって規制されている。
[清水武夫・伊達新吾]
花火の原形に「烽火(のろし)」がある。これは古くからおもに信号として世界の各地で用いられていた。また、紀元前1190年ごろにはトロイ人が「消えない火」を、678年にはシリア人が「ギリシア火」を用いていたと伝えられる。これらは現在の焼夷(しょうい)剤であろうと考えられている。しかし「花火」の出現は、黒色火薬の発明(1242)以後のことで、イタリアのフィレンツェを中心として15世紀ころまでにはヨーロッパ各地に広まっていった。もっともそのころの花火は単色であり、現在のような鮮やかな色をもつようになったのは19世紀になってからのことである。
[清水武夫・伊達新吾]
日本の花火は天正(てんしょう)年間(1573~1592)に一般の火術とともにオランダ人またはポルトガル人によって伝えられたようであるが、起源ははっきりしない。記録によると『駿府政事録(すんぷせいじろく)』『宮中秘策』『武徳編年集成』に、1613年(慶長18)8月3日明(みん)国の商人がイギリス人を案内して駿府に徳川家康を訪ね、鉄砲や望遠鏡などを献上して、その6日には城の二の丸で明人が花火を立て、家康がこれを見物したとある。これが花火についての信頼できるもっとも古い記録であるという。このイギリス人はジョン・セーリスといい、国王ジェームズ1世の使者として国書を持って日本にやってきたのであった。前記の文献に「花火を立てる」とあるから、黒色火薬の薬剤を筒に詰め、これを立てて点火し、その上向きに吹き出す火の粉を観賞したのであろう。1615年には駿府で伊勢(いせ)踊りが流行し、このとき唐人に花火を頼んで飛ばしたという記録もある(駿府政事録)。こうして初めのうちは外国人に頼んで花火を行っていたが、しだいに日本人が自分でつくるようになり、江戸の町では相当に広まったとみえる。1658年(万治1)初代の鍵(かぎ)屋が大和(やまと)国(奈良県)篠原(しのはら)村(現、五條(ごじょう)市大塔(おおとう)町篠原)から江戸へ出てきた。鍵屋は代々篠原弥兵衛(やへえ)を名のって12代まで続き、現在は天野氏が継いで「宗家 花火鍵屋」(東京都江戸川区)を名のっている。なお、文化(ぶんか)(1804~1818)のころ鍵屋の番頭清七が分家して玉屋を名のったが、1843年(天保14)4月17日将軍家慶(いえよし)が日光参拝のため江戸をたつという前日、自家から火事をおこしたため江戸を追われた。現在では千葉県八千代(やちよ)市の中嶋(なかじま)氏が「元祖玉屋」を名のっている。
両国川開き花火は1733年(享保18)5月28日に行われたのが最初であるといわれる。その前年には日本全国に享保(きょうほう)の大飢饉(ききん)があり、餓死者90余万人に達したといわれ、また江戸にはコロリ病(現在のコレラ病)が流行し、死者は路上に捨てられたという。幕府はその慰霊と悪病退散のため水神祭を行い、次の年からは花火も打ち上げるようになった。ヨーロッパの花火が筒形の玉であったのに対し、日本のものは球形で花の形も丸く均斉のとれたものに発達した。現在、日本の花火の製造、打上げ技術は、世界有数のものになっている。
[清水武夫・伊達新吾]
花火として用いられている現象には四つある。光、音、煙、および旗・風船・ビラなどの形のものであり、これらが花火の要素である。
次に現象の変化形式がある。これを曲という。この語源は明らかでないが、曲芸の曲からきたもののようである。花火は絵画などと異なって動くものであるから、変化の仕方が問題になる。もっとも広い意味では花火はすべて曲からなる。しかし普通狭い意味に使い、たとえば打揚げ(打上げ)玉に別の小花火を取り付け、玉が昇る途中で開花するようにした曲導(導は弾道の意)がある。
次に花火の構造と用途による基本的な形式があげられる。普通に花火の種類というのはこの分類法によるものである。
[清水武夫・伊達新吾]
歴史的には和火(わび)と洋火とがある。和火は硝石、硫黄(いおう)、木炭の混合物、すなわち黒色火薬を主とした日本古来のもので、炭の火の粉を主にしている。洋火は明治以後ヨーロッパから日本へ伝えられた色火剤(いろびざい)や、アルミニウム、マグネシウムなどの光輝剤が主である。今日ではこれらが長短補って花火を成り立たせている。
科学的にみると花火の光には2種類ある。固体や液体の発光によるものと、気体の発光によるものがこれである。火花や火の粉は前者で、色火(炎)は後者である。固体や液体が高い温度に加熱されると、温度の上昇とともに、赤、赤橙(せきとう)、黄金、白色へと変わっていく。薬剤の中の炭や金属成分などの種類によっても色調が異なる(すなわち、元素の炎色反応である)。炭の火の粉は一般に赤橙色で弱く光る。これを「引(ひき)」という。現象が火の粉の尾を引いていくように見えるのでこの名がある。また別名で「菊」ともいう。原料炭としては松炭が用いられる。アルミニウムの火の粉は明るく、その温度によって赤橙色から美しい黄金色になり、さらに高温では黄白色に変わる。この黄金色を「錦(にしき)」という。従来、この光は短命(2~3秒)であったが、1960年代前半にはチタンなどの新しい原料を用いて黄金色のもっと長い寿命のものもできるようになった。これを「椰子(やし)」という。高温(約2300℃以上)の気体(炎)の中に特殊な金属蒸気が含まれるようにすると、赤、黄、緑、青などの原色光を出すことができる。このようにつくられた薬剤を色火剤という。塩素酸カリウムまたは過塩素酸カリウムとセラックなどの樹脂を混合し高温の炎を発生するようにし、それに少量の色を出す物質を加える。赤に炭酸ストロンチウム、黄にシュウ酸ナトリウム、緑に硝酸バリウム、青にパリスグリーンまたは酸化銅などが用いられる。明治時代以降、色火剤にマグネシウムを混入することにより炎の温度を約2500~3000℃に上昇させ光をいっそう明るくすることができるようになった。1970年代以降は点滅燃焼をする薬剤も用いられるようになった。
[清水武夫・伊達新吾]
これには3種類がある。(1)爆発音(雷(らい))、(2)唸(うな)り音(蜂(はち))、(3)振動燃焼音(笛)、である。
(1)爆発音(雷) 雷は運動会の合図などに用いられるもので、主として過塩素酸カリウムにアルミニウムの微粉を混合した薬剤が使われる。アルミニウムの分量を多くした電光雷、チタンを混入して夜間に残光を出すようにした花雷(はならい)などがある。この種の薬剤は1包の量が極端に小さくなると爆発しにくくなる。それで、競技の合図や玩具(がんぐ)に使われるピストルの玉には、塩素酸カリウム、硫黄、赤リンの混合薬が用いられる。この混合薬は非常に鋭敏であり、これをほぐして集めるなどの行いはきわめて危険である。また玩具用花火のかんしゃく玉(クラッカーボール)は塩素酸カリウムと鶏冠石(けいかんせき)As2S2との薬剤で、これも同様な注意が必要である。
(2)唸り音(蜂) 蜂は黒色火薬をじょうぶな紙筒に固く詰め、燃焼ガスの吹き出し口を非対称にあけてあるため、燃えながら筒が一種の螺旋(らせん)運動をするために生じる音である。
(3)振動燃焼音(笛) 笛は特殊な薬剤(安息香酸カリウムと過塩素酸カリウムなど)を細長い筒の一端に詰め、5センチメートル程度の空長を残しておく。空長側に点火すると笛に似た鋭い振動音を出すものである。その固有振動数は毎秒3000程度である。笛にはロケットに似た推進作用があり、玩具用花火では笛ロケットとして販売されている。
以上の雷、蜂、笛の三つを適当に組み合わせると一種の音楽花火をつくることができる。しかし、一般に花火はある距離を置いて観賞するものであり、光と音の速度の不一致がある。またリズムと点火技術との関係もあり、将来の課題として残されている。
[清水武夫・伊達新吾]
科学的にみると花火の煙には物理煙と化学煙とがある。物理煙とは、蒸発という物理現象により発生する煙のことである。沸点の高い物質Aと低い物質Bとをいっしょにして加熱すると、両者が蒸発していったんAとBとの均一な混合物になるが、これが冷却する過程でまずAが液体または固体の粒子になって現れ、Bはこの粒子相互の付着を妨げる。したがって細かいAの粒子の煙が得られる。花火ではAとして沸点の高い色素を用いる。赤にローダミンBとパラレッドの混合物、黄にオイルエロー、緑にフタロシアニンブルーとオイルエローの混合物、青にフタロシアニンブルーなどである。Bとしては発熱剤から出る燃焼ガスを利用する。この薬剤は塩素酸カリウムと乳糖などからなり、これと色素とを混合して点火すると低い温度で燃える。その熱によって色素が蒸発すると同時に、自らの燃焼ガスと均一な混合ガスをつくり、これが空中に放出される。ガスは放出口の近くで冷却され、色素が微粒子になって煙として現れる。この粒子の大きさは約2マイクロメートル以下である。化学煙は、物質Aが薬剤の燃焼生成物として化学的にできるもので、たばこの煙と原理は同じである。花火では黒煙などに用いられる。これはアントラセン、硫黄、過塩素酸カリウムの混合薬の燃焼によって生じる炭素の煙である。
[清水武夫・伊達新吾]
おもに薄い紙の製品であり、花火玉に畳み込んで上空で開かせ、観賞や宣伝広告などに用いられる。旗は上を落下傘で吊(つ)り、下には砂袋などのおもりを下げる。風船や提灯(ちょうちん)などは袋の形をしていて、空中をふわふわと浮遊する。これらには空気をはらむ穴があいていて、その穴の縁に鉛のおもりなどがつけてある。これらを「袋物」という。
[清水武夫・伊達新吾]
花火には、(1)打上げ花火、(2)仕掛け花火、(3)玩具用花火がある。それらの構造について記述する。
[清水武夫・伊達新吾]
上空で円形の花形を現す割物(わりもの)と、単に玉の内容物を放出展開させるだけのポカがある。割物は強い外殻を備え、これを強い割薬で破裂させるのでこの名があり、ポカは弱い外殻を弱い割薬でぽかっと二つに割るので、その破裂音からきた名である。持ち上げてみると割物はずしりと重い手ごたえがあり、ポカはいかにも軽い感じである。前者は後者の約2倍の重さがある。
割物の玉の中には、外側に星(光を出す球形の薬のかたまり)を並べ、その内側に割薬をぎっしりと詰める。また花の心(しん)が必要なときは同心球状に心星(しんぼし)を入れる。これを心ものという。二重に心が入ったものを八重(やえ)心という。星はナタネや穀粒を心とし、その外側に色火剤や引をかけだんだんに太くしたものである。色を変えたいときはそれに相当する薬剤に変えてかける。たとえば「引先紅(ひきさきべに)」は星の製造の初めに紅剤をかけ、ついで引をかける。開花と同時に星は外側から燃え始めるので、まず引が現れ、ついで赤色が現れる。
ポカは上空で玉の外殻を二つに割る花火の総称であって、その内容物によってさまざまなものに分かれる。しかし構造としては2種類ある。その一つは、玉の内部が燃焼室だけであり、ここで内容物がすべて着火する。他の一つは、玉の内部が燃焼室と防火室とに分かれ、両者は隔壁などで仕切られ、燃焼室には着火しなければならない星などを入れ、防火室には着火してはならない旗や袋物などを入れる。隔壁にはボール紙、綿実、籾殻(もみがら)、おがくずなどが用いられる。
打上げ花火には、夜の花火と、昼の花火との別があり、夜は光を、昼は煙と旗・袋物などを主体としている。また音は昼夜に共通である。
花火玉の大きさは打上げ筒の内径で表し、寸単位でよばれていた。現在ではメートル法の施行のため、5寸玉を5号玉とよぶなど、寸を号でいいかえるようになった。実際の玉の直径は打上げ筒の内径の9割程度である。現在もっとも大きい玉は40号(4尺)である。割物が円形に開花したときの形を盆(ぼん)という。その直径は非常にまちまちである。
[清水武夫・伊達新吾]
仕掛けとは火薬を使ったある種のからくりをいう。考案によっていろいろなものができるが、火薬などを使った簡易な自動装置によって一つのまとまった効果を現すものである。代表的なものに枠仕掛けや連発(スターマイン)などがある。枠仕掛けは、木枠などに、原図にあわせ、色火剤を詰めた細長い筒(ランス)の列を取り付け、一斉に点火し、景色や人などの像を現す。花火大会でよく見られる「ナイアガラの滝」もこれに入る。連発は、多数の小さな打上げ筒を並べ、これに筒1本に2個程度の玉を装填(そうてん)し、連続的に打ち上げるもので、打上げ花火の応用である。
日本国内で年間におよそ8500回開催されている花火大会のなかで、毎年10月初旬に茨城県土浦(つちうら)市で行われる土浦全国花火競技大会や、毎年7月下旬に東京都墨田(すみだ)区で行われる隅田川(すみだがわ)花火大会、毎年8月下旬に秋田県大仙(だいせん)市で行われる大曲(おおまがり)全国花火競技大会などが全国的に有名である。
[清水武夫・伊達新吾]
打上げ花火に類似したものが多く種類も雑多である。しかし薬量をきわめて少なくし危険がないようにつくられているのが特徴である。
日本古来の代表的なものに線香花火がある。黒色火薬系の薬剤は燃えてもガスが少なく、薬の6ないし7割が燃えかすとして残る。これには多量の硫化カリウムが含まれていて、丸く縮んで火球をつくり、その表面が空気中の酸素と反応して緩やかに燃える性質がある。木炭の性質は線香花火の原料として重要である。燃えやすい炭(松炭、桐(きり)炭など)に少量の燃えにくい炭(油煙や松煙など)を混合して用いられる。前者は薬剤の初期の燃焼に必要であり、後者は火球の中に残って、爆発的に火球の表面から松葉火花を発生する。
[清水武夫・伊達新吾]
『清水武夫著『花火の話』(1976・河出書房新社)』▽『小勝郷右著『日本花火考』(1979・毎日新聞社)』▽『江口春太郎著『花火ものがたり』(1982・中日新聞社)』▽『J・A・コンクリン著、吉田忠雄・田村昌三監訳『エネルギー物質の科学 基礎と応用』(1996・朝倉書店)』▽『細谷政夫著『花火の科学』(1999・東海大学出版会)』▽『小野里公成著『花火百華』(2000・丸善)』▽『冴木一馬写真、白石まみ文『花火写真集』(2003・ぶんか社)』▽『吉田忠雄・丁大玉編著『花火学入門』(2006・プレアデス出版、現代数学社発売)』▽『泉谷玄作著『花火の図鑑』(2007・ポプラ社)』▽『火薬学会編、田村昌三監修『エネルギー物質ハンドブック』第2版(2010・共立出版)』▽『冴木一馬著『花火のふしぎ――花火の玉数は数え方しだい?美しい花火の正式な基準とは?』(2011・ソフトバンククリエイティブ)』▽『日本火薬工業会資料編集部編『火薬学』初版(2012・日本火薬工業会)』▽『小勝郷右著『花火――火の芸術』(岩波新書)』▽『小野里公成著『日本の花火』(ちくま新書)』
火薬が燃焼するとき発生する光,火花,火の粉,音,煙などの現象,またはこれに火薬ガスの力を加えてこれらを巧みに利用し観賞用に供するもので,その現象そのものをさすこともあれば,その品物をさすこともある。火薬類取締法では信号用(救難,合図,競技用など),産業用(有害鳥獣駆除用など)の火薬を使った品物を含めて煙火と呼ばれ,製造,貯蔵,販売,消費などについてこの法律の適用を受ける。
花火の現象をつくるのは光,音,煙,〈形のもの〉の四つの要素である。〈形のもの〉というのは動物の形,人形,旗など紙製のものがおもである。これらの要素を選び時間的,空間的な変化を与えて花火が作られる。一般に花火は,その構造および用途によって,打上花火,仕掛花火,玩具花火の3種類に分類される。打上花火には割物(わりもの)(円の構図を現すもの,いわゆる菊花形花火),ポカ玉(非円の構図を現すもので,この名は玉が上空で割れるときの音からきている。たとえば〈つりもの〉など)およびこの二つの中間のものがある。仕掛花火には,枠仕掛(小さな光を連接して図形を現すもの),立火(火の粉などを地上から吹き上げるもの),スターマイン(多数の玉をほとんど同時に間断なく打ち上げるもの),水中花火(水に浮上し,または飛びはねて効果を現すもの)などがある。
(1)打上花火 (a)割物 爆発力の強い割薬を多量に用いるのが特徴である。図1はその代表的な構造の一例である。四つの主要部,すなわち玉皮,星,割薬,導火線から成っている。玉皮は新聞紙などで作った内皮の上面に和紙またはクラフト紙のようなじょうぶな紙を何回も厚くはり重ねたものである。割薬は圧力が高くなるほど速く燃える性質があるので,どれだけその力を期待するかによって,紙の質やはり紙の枚数を決める。欧米では紙を厚くはり重ねる代りに糸を巻きつける方法が行われている。星は火薬(発光剤)のかたまりで,一般に球形である。その燃焼時間は割物の大きさや目的によって異なるが2~4秒程度である。これを作るにはまず適当な芯を準備する(ナタネの種など)。この上に水を使って火薬をまぶし,容器を揺り動かしながら丸めて乾燥させる。この作業を数回ないし数十回繰り返しながらだんだん太くしていく。途中で花火の光の色を変化させるには,別の発光剤をまぶす。割薬は星を飛ばす原動力になるもので,ワタの実,もみがらなどの媒体の表面に割薬用の火薬(過塩素酸カリウムまたは塩素酸カリウムに炭粉を加えたもの,または黒色火薬)をのり剤でまぶし粒状に仕上げたものである。こうすると玉が爆発するとき,はじめの火のまわり方がよくなる。導火線は,玉が打上筒から発射されるとき,打上火薬の炎でその端に点火し,玉が昇るあいだ火を保ち,上空で適当な高さに達したときに,その火を割薬に伝えるものである。その他,以上の応用として菊花の中心に芯を入れた,いわゆる芯ものがある。これは,さらに同心球形に星を並べたものである。
(b)ポカ玉 割薬の量は玉を割り開くのに十分な程度で,割物に比較してその量が非常に少ない。また玉皮の厚さも運搬,取扱いや発射の衝撃に耐える程度のものでよいから,あまり紙をはり重ねる必要はない。全体の重さは割物の半分程度のものが多い。ポカ玉は目的によって入れるものが違うので,その構造は割物のように一定していない。しかしだいたいの構造は,火をつけなければならないもの,たとえば照明星などは割薬の近くにその直火を受けるように入れ,火がついてはならないもの,たとえばパラシュートなどは割薬からなるべく遠ざけ,詰物などで火を防ぐように入れる(図2参照)。種類がたいへん多いので代表的なものだけについて述べる。〈つりもの〉には上記の照明星のほかに連星,花傘連星などがある。連星はたくさんの星が直線に並んで見えるもので,パラシュートに星を糸で結んでつるすものである。花傘連星はそのパラシュートの縁にさらに星をつるしたものである。また上記の照明星の代りに煙をつるしたものもある(煙竜)。つりものはパラシュートが風に乗り遠方まで浮遊するため火災や交通事故を起こすおそれがあるとして,近年は使用を制限されるようになった。〈分砲〉は直線上を互いに反対方向に光が飛ぶように作られた部品を数多く玉に入れたものである。その部品はじょうぶな紙筒の両端に星を詰め,内部には発射薬が入っていて,導火線で着火するようになっている。〈小割〉は小さな割物の玉を大きな玉の中にいくつも入れたもので,これが上空で開くとたくさんの小花が開くようになっている。別に百花園,千輪などの名前がついている。〈蜂(はち)〉は空中で不規則な渦巻運動をしながら火の粉を吹き一種のうなりを出す。火薬をじょうぶな短い筒に固く詰め,両端をセッコウなどでふさぎ,中央に噴気孔を開け,導火線をさし込んである。この部品を一つの玉にたくさん入れたものである。〈雷〉は運動会の合図などに使われ,三つの音を出す三段雷,五つの音を出す五段雷,非常に多くの音を出す万雷,またただ一つの大きな音を出す号砲などがある。号砲はかつて正午の合図に使われたのでこの名前がついている。〈旗〉〈袋物〉はいわゆる〈形のもの〉で,紙製品であり,これを小さく玉にたたみ込んである。玉が開くとそれにつけたおもりの作用で大きく開くようになっている。紙はかつては雁皮紙(がんぴし)が用いられたが,しだいに生産量が減り,今ではコピー紙などの薄い紙が用いられる。旗はパラシュートにつるすので一種のつりものである。一方,袋物は人形や動物の形を縫ってその形の袋に仕上げ,下に風穴を設けてその周囲におもりがつけてある。そのおもりが下になって落下するので風穴から空気が入り,空中に浮かぶのである。
(c)型物 文字や模様を花火の星で現すものである。あらかじめ玉皮の内面に星を現そうとする形に配列しておく。あとの構造は割物と同じである。強い割薬と厚い玉皮の構造で,玉を強く割るとその形が空にそのまま現れる。しかしあまり複雑な形のものは技術的に困難である。実用されているものは環,環叉(わちがい),二重輪,三重輪の程度である。
図3に,最も一般的な花火の打上方法を示した。鉄板製打上筒の底にまず黒色小粒火薬(揚薬)を入れ,その上に玉を装てん(塡)する。玉と筒との間には筒の内径の1割程度のすきまがある。筒口からマッチ薬に火をつけて投げ込むと,このすきまを通って揚薬に点火し,玉はこの揚薬の爆発によって発射される。点火を確実にするためには,あらかじめ揚薬の一部を手元に残しておき,これを図3のように玉の上に振りかけておく。これを振薬(ふりやく)という。もう一つの打上方法に早打というのがある。玉にはあらかじめ袋入揚薬と取っ手がとりつけてある。打上げには火おこしを準備する。この中に炭火をおこし,厚い鉄板に穴を開けたもの,または太い鉄棒を渦巻状にした焼金(やきがね)を入れて加熱する。焼金が真っ赤になったところで取り出し筒の底に入れる。この上に玉を落とし込むと揚薬が底の焼金に触れた瞬間に爆発し玉が上がる。つぎつぎとこの操作を繰り返すと,10~15回程度の連続発射ができる。
打上花火の玉の大きさは,尺貫法の廃止により〈号〉で呼ばれるようになった(括弧内は旧称を示す)。たとえば3号(3寸),4号(4寸),……,10号(1尺)などである。現在最大のものは40号(4尺)まで作られているが,最も多く用いられるのは10号以下である。この寸法は打上筒の内径をさし,玉の直径はこれよりやや小さい。輸出向けのものはインチ・サイズで呼ぶ。
(2)仕掛花火 (a)枠仕掛 30mm程度の角材の木枠に幅10~30mmの割竹を構図に従って取り付ける。これに色火剤を直径10mm,長さ6~10cm程度の薄い紙管に詰めたもの(ランス)を約10cm間隔に取り付け,その先端を速火線(綿糸などに黒色火薬などを塗ったものを紙のさやに通したもの)で連接する。この速火線は火が20~50m/sの速さで走る。したがって一端に点火すると火が瞬時に全面にまわり,色火の連接した構図が現れる。(b)立火 筒に,弱い黒色火薬に鉄粉を混合したものを固く詰め,杭などで地上に立て,点火すると5~15m程度火の粉を吹き上げる。こういったものが広く使われる。(c)スターマイン 連発ともいう。筒は5本程度を一組にして木枠などに入れ固定するようになっている。ただし大きい玉で4号以上は独立させる。各筒には打上花火と同じように揚薬と玉を入れるが,3号以下では玉は2個ずつ1本の筒に入れるのが普通である。各筒は速火線で結ぶ。また必要に応じて中間に導火線を入れて玉が上がる時間間隔を調節する。こうして計画に従って多数の玉が連続して上がるように仕掛ける。(d)乱玉(ローマンキャンドル) 1本の筒からつぎつぎと星が連続して打ち上げられるもので,星と揚薬,延時薬が順に何段にも詰まっている構造である。ふつうスターマインといっしょに用いられる。(e)火車 竹などで作った輪にロケットを取り付けたもので,その反動で回転するようになっている。(f)水中花火 流し火は水に浮上して色火を発するものである。金魚は火の粉剤を紙筒に詰めたもので,これを多数親筒に入れ点火して同時に水上に打ち出す。各筒は燃焼ガスの反動で飛びはねるので,その眺めは壮観である。
外国の花火は打上花火では筒形が多く,星をばらまくようになっている。仕掛花火は日本のものと大同小異である。しかしヨーロッパでは小型ロケットをつけた花火がよく使われる。
(3)玩具花火 小型で薬量も少なく危険が少ないように製作されている。打上花火や仕掛花火をそのまま応用して小型化したものと玩具花火独特のものがある。薬の保持方法は簡単で,薬を細長い紙に撚(よ)り込んだ〈撚物〉,薬を練って針金,竹,厚紙などに付着させた〈練物〉がある。また紙筒を使った〈筒物〉などもある。独特なものとしては線香花火や,灰が長く伸びるへび玉がある。
執筆者:清水 武夫
起源はギリシア・ローマの昔にさかのぼるとの説もあるが,現今のような花火は火薬の発明以後で,ヨーロッパでは14世紀の後半,イタリアのフィレンツェに始まるといわれる。ヨーロッパ諸国に流布したのは16世紀で,17世紀には花火の技術を教える学校もできた。初期は硝石,硫黄,木炭を主剤としたが,1786年ベルトレによって塩素酸カリウムが発見されてから,花火の色彩が自由に出しうるようになった。18世紀には各地で大花火大会が催されている。
日本に花火が伝わったのは,1543年(天文12)の鉄砲伝来とともに火薬の配合が伝えられた後であるが,85年(天正13)の夏,皆川山城守と佐竹衆の対陣のとき,慰みにそれぞれ敵陣に花火を焼き立てたことが見えるのが古い記録である。1613年(慶長18年8月6日)に,花火上手(じようず)の唐人が江戸城二の丸で上げた花火を徳川家康が見物したといわれるが,そのころから花火師が現れ,やがて撚花火や線香花火を売り歩くようになった。随筆《飛鳥(あすか)川》には花火売の呼声として,〈花火花火,鼠(ねずみ)手,ぼたん,てん車,からくり,花火花火〉と記しているが,これは江戸時代後期のことであろう。48年(慶安1年6月),70年(寛文10年7月),80年(延宝8年7月)などに,幕府は鼠火,流星などの花火を町中で上げることを禁止する触れを出しているほどで,その流行がしのばれる。いわゆる〈両国の花火〉の起源については,1732年(享保17)全国的な凶作と江戸の疫病流行で多くの死者が出たため,33年幕府は慰霊と悪疫退散をかねて両国橋近くで水神祭を催したが,そのとき両岸の水茶屋が余興として献上花火を上げたのに始まるとも伝えられている。花火は元禄時代(1688-1704)以後,江戸でしだいに豪華となったもので,夏には隅田川で規模の小さい茶屋花火が行われるようになり,また花火船があって,船遊山(ゆさん)の客の求めに応じて代金をとって花火を上げて見せるようになった。そして旧暦5月28日から8月28日までの間を納涼期間に定めて,川べりの食物屋,見世物小屋,寄席などが夜半まで営業が許されたので,その第1日目の5月28日(のちには7月下旬)を〈川開き〉と称し,両国橋と新大橋との間で大花火を上げることが行われるにいたった。その費用は船宿と両国辺の茶店などから支出された。川開きの花火を打ち上げたのは町人の花火師だが,やがて諸大名も花火を打ち上げるようになり,大名花火といわれた。1771年(明和8)ころから89年(寛政1)までは,中洲でも茶店が軒を連ね,この辺でも夏花火を上げて楽しむことがあったが,禁止され,両国の花火だけが江戸の名物となった。大花火には〈しだれ柳〉〈大桜〉〈天下泰平の文字うつり〉〈流星〉〈ぼたん〉〈ちょう(蝶)〉〈ぶどう〉などがあり,見物人は両国橋界わいに集まるほか,屋形船を浮かべてこれを見物した。両国横山町の鍵(かぎ)屋,鍵屋から別家した両国吉川町の玉屋がその花火の製造元であった。
日本で花火の色彩が明確に現れはじめたのは,塩素酸カリウムが輸入されるようになってからで,1879年ころからといわれ,その後つぎつぎと新しい化学薬品が導入されるようになった。なかでも打上花火は,色光の配置,変化など日本で独特の発達をとげ,第1次大戦後には光輝剤や昼間の花火に染料煙が用いられるようになった。とくに現象の途中で光が2回,3回と変化する割物の手法は,現在日本以外ではその例がないようである。また玩具花火も日本人の手作業の器用さを生かして多種多様なものが作られ,打上花火とともに輸出されるものも多い。第2次大戦で中断した両国川開きの花火が1948年に復活,その後人口の密集や隅田川の汚染により61年で中止となったが,78年に再開された。近年は各地でも花火大会が盛んに行われるようになり,とくに83年には,新潟県長岡市において三尺五寸玉(直径約1.05m)の打上げに成功している。
日本の花火企業は諸大名に仕えた花火師が明治の廃藩とともに独立して家業としたものが主で,全国に分布するが,いずれも零細ないし中小企業に属する。なお,花火は危険防止のために,火薬類取締法によって製造,販売,貯蔵などがきびしく規制されている。
執筆者:清水 武夫+冨倉 徳次郎
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…幼虫が動物糞を食べて成長するものや,植物寄生の種も見られるフンバエ科(フンバエ(イラスト))。成虫が花上や葉上に多く,翅脈に特徴のあるハナバエ科(ハナバエ)。イエバエを代表とするイエバエ科(イエバエ(イラスト))。…
※「花火」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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