長原浦(読み)ながはらうら

日本歴史地名大系 「長原浦」の解説

長原浦
ながはらうら

[現在地名]松茂町長原

吉野川今切いまぎれ(現今切川)河口北岸に位置。漁業を中心とし、北部が豊岡とよおか新田に接するほかは、東は海(紀伊水道)、南部は吉野川今切口に臨み、半島のような地形をしている。享和元年(一八〇一)豊岡新田の干拓以前は、北と北西に吉野川河口の潟湖が広がり、いずれの村とも陸路で結ばれない離島状を呈した。長州ながす(板野郡誌)別宮浦長原べつくうらながはら(享和二年「板野郡一昨年以来御用方相手掛候申上帳」蜂須賀家文書)、下別宮浦長原(阿波志)月見つきみおか(板野郡誌)などとも称された。吉野川の広戸ひろと(現旧吉野川)と今切口の間に南北に長く延びた砂洲の当地に、永禄年間(一五五八―七〇)別宮浦(現徳島市)の漁業者一五戸・四〇余名が移住したのがはじまりという。以来当地を長州と称し、のち月見ヶ岡と改称したと伝える(板野郡誌)。「阿波志」には長原は別宮浦にあり、天正五年(一五七七)勝瑞しようずい(現藍住町)城主三好長治(長春)が当地で自刃したことが記される。長治は三好氏に背いて仁宇にう谷に入った異父兄細川真之荒田野あらたの(現阿南市)から攻めたが、一宮成助伊沢頼俊の攻撃を受け、当地に逃落ち自刃したという。なお自刃した日については諸説あり、従来天正五年三月とするのが通説であったが(「三好記」「阿波志」など)、「昔阿波物語」の同四年一二月とするのが妥当ともされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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