長建寺
ちようけんじ
真言宗醍醐派、東光山と号し、本尊は弁才天。元禄一二年(一六九九)、深草大亀谷(現伏見区)の即成院から多聞院を移して創建された。寺名は、寺の創建に尽力した伏見奉行建部内匠頭政宇の長命息災を祈り、建部の「建」を採って「長建」としたと伝える。江戸時代には毎年六月二五日、明治以降は七月下旬伏見の弁天祭とよばれる大祭があった。伏見奉行所の役人が警固するなか万灯をつけ、鉦音にぎやかな渡御船に柴を積み、河中に出て護摩供を催し夜空を真っ赤に焦がす荘厳なもので、伏見市中はもとより近在からおおぜいの見物人が群参した。
長建寺
ちようけんじ
[現在地名]備中町布賀
補陀山と号し、曹洞宗。本尊聖観音。もと善福寺(現井原市)末。寺伝によると永正一五年(一五一八)僧祖潭の開山。本尊は木造立像で、像高一六五・五センチ、備中中北部では希少な平安時代後期の作とみられ、三三年に一度開帳される秘仏。また金銅製懸仏三基(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩)が伝えられ、その墨書銘によると、永正一八年に布賀菖蒲城主平川経貞が願主となって奉納したもの。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 