コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

長沼守敬 ながぬまもりよし

8件 の用語解説(長沼守敬の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

長沼守敬
ながぬまもりよし

[生]安政4(1857).9.23. 岩手,一関
[没]1942.7.18. 館山
彫刻家。上京してイタリア公使館に勤務し,1881年イタリアに留学,ベネチア王立美術学校で彫刻を学び,85年優秀な成績で卒業。 87年帰国後は明治美術会の創立に参加し会員となる。 97年イタリア,フランスの美術工芸視察のため再び渡欧,翌年帰国して東京美術学校塑造科の初代主任教授に就任。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

ながぬま‐もりよし【長沼守敬】

[1857~1942]彫刻家。岩手の生まれ。明治美術会の創設に参加。日本近代彫刻の基礎づくりに尽力した。

出典|小学館
デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

長沼守敬【ながぬまもりよし】

彫刻家。岩手県生れ。1874年上京してイタリア公使館に勤務し,1881年ベネチアに留学して彫刻を学んだ。帰国後,明治美術会の創立に参加,1898年東京美術学校塑造科の初代主任教授に就任。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

長沼守敬 ながぬま-もりよし

1857-1942 明治-大正時代の彫刻家。
安政4年9月23日生まれ。明治7年に上京,イタリア公使館ではたらく。イタリア留学後,31年東京美術学校(現東京芸大)の洋風彫塑教室の初代教授。33年パリ万国博覧会出品の「老夫」で金牌(きんぱい)受賞。昭和17年7月18日死去。86歳。陸奥(むつ)一関(岩手県)出身。ベネチア王立美術学校卒。作品はほかに「伊太利亜皇帝像」など。

出典|講談社
デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて | 情報 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

長沼守敬

没年:昭和17.7.18(1942)
生年:安政4.9.23(1857.11.9)
明治期の彫刻家。陸奥一関(岩手県)に士族の子として生まれる。明治7(1874)年に上京し,キオソーネイタリア語を学び,8年,イタリア公使館の通訳見習となる。14年,公使バルボナーニの帰国に同行してイタリアに渡った。ベネチア王立高等商業学校日本語を教えながら,ベネチア王立美術学校でルイジ・フェラーリ,アントニオ・ダルツォットに師事し,アカデミックな彫刻を学ぶ。20年帰国。22年明治美術会創立に参加。同会の教場で後進を指導したほか,31年に東京美術学校(東京芸大)に新設された洋風彫塑教室の初代教授を33年まで務めた。大正3(1914)年,突然彫刻界を退いて隠棲した。代表作に「老夫」(東京芸大蔵)がある。

(山梨絵美子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ながぬまもりよし【長沼守敬】

1857‐1942(安政4‐昭和17)
彫刻家。陸奥国一関に生まれる。1874年上京してイタリア公使館に勤務,81年イタリアに渡りベネチア王立美術学校に学び,87年帰国,明治美術会の創立に参加。98年東京美術学校の教授となり,塑造科新設に尽力し,文展開設から1913年まで審査員をつとめた。官学派の堅実な技法で洋風彫刻に先駆的役割を果たした。代表作に《老夫》などがある。【三木 多聞】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

ながぬまもりよし【長沼守敬】

1857~1942) 彫刻家。岩手県生まれ。イタリアで学び、帰国後、明治美術会を創立。本格的な洋風彫刻を伝え、後進を育成。代表作「老夫像」

出典|三省堂
大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

長沼守敬
ながぬまもりよし
(1857―1942)

彫刻家。安政(あんせい)4年陸奥(むつ)一ノ関(岩手県)に生まれる。官学派の堅実な技法により、洋風彫刻界で指導的役割を果たした。1874年(明治7)上京してイタリア公使館に勤務し、81年公使の帰国に同行してイタリアに渡り、ベネチア王立美術学校に学び、85年卒業、87年に帰国した。89年明治美術会の創立にただ1人の彫刻家として参加し、会員となった。90年に第3回内国勧業博覧会の審査員を務めて以来、審査員を歴任。98年東京美術学校の教授となり、同校彫刻科の塑造科新設に尽力したが、まもなく辞任した。1908年(明治41)文展開設以来審査員を務めた。1900年のパリ万国博に出品して金牌(きんぱい)を得た『老夫』(1898)が代表作。昭和17年7月18日千葉県館山(たてやま)で没。[三木多聞]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の長沼守敬の言及

【明治・大正時代美術】より

…ラグーザは15年間同校にあって,その門下からは大熊氏広(1856‐1934),藤田文蔵(1861‐1934),小倉惣次郎(1843‐1913),佐野昭(しよう)らが育った。彼らに加えて,81年から5年間ベネチアで学んだ長沼守敬(もりよし)が洋風彫塑の開拓者といえようが,国粋主義の伝統復興運動のさなかに設立された東京美術学校では,木彫だけが採用され,竹内久一(きゆういち)(1857‐1916),高村光雲,石川光明,山田鬼斎(1864‐1901)が登用された。93年に開かれたシカゴ万国博覧会には竹内の《伎芸天》,高村の《老猿》,石川の《白衣観音》が出品されたが,これらが明治期の木彫を代表する作品であった。…

※「長沼守敬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

長沼守敬の関連キーワード接触変成作用輝岩歌沢寅右衛門歌沢笹丸うた沢哥沢芝金片岡仁左衛門長崎(市)プラン問題藩学一覧

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

長沼守敬の関連情報