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彫刻家。安政(あんせい)4年陸奥(むつ)一ノ関(岩手県)に生まれる。官学派の堅実な技法により、洋風彫刻界で指導的役割を果たした。1874年(明治7)上京してイタリア公使館に勤務し、81年公使の帰国に同行してイタリアに渡り、ベネチア王立美術学校に学び、85年卒業、87年に帰国した。89年明治美術会の創立にただ1人の彫刻家として参加し、会員となった。90年に第3回内国勧業博覧会の審査員を務めて以来、審査員を歴任。98年東京美術学校の教授となり、同校彫刻科の塑造科新設に尽力したが、まもなく辞任した。1908年(明治41)文展開設以来審査員を務めた。1900年のパリ万国博に出品して金牌(きんぱい)を得た『老夫』(1898)が代表作。昭和17年7月18日千葉県館山(たてやま)で没。
[三木多聞]
彫刻家。陸奥国一関に生まれる。1874年上京してイタリア公使館に勤務,81年イタリアに渡りベネチア王立美術学校に学び,87年帰国,明治美術会の創立に参加。98年東京美術学校の教授となり,塑造科新設に尽力し,文展開設から1913年まで審査員をつとめた。官学派の堅実な技法で洋風彫刻に先駆的役割を果たした。代表作に《老夫》などがある。
執筆者:三木 多聞
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(山梨絵美子)
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…ラグーザは15年間同校にあって,その門下からは大熊氏広(1856‐1934),藤田文蔵(1861‐1934),小倉惣次郎(1843‐1913),佐野昭(しよう)らが育った。彼らに加えて,81年から5年間ベネチアで学んだ長沼守敬(もりよし)が洋風彫塑の開拓者といえようが,国粋主義の伝統復興運動のさなかに設立された東京美術学校では,木彫だけが採用され,竹内久一(きゆういち)(1857‐1916),高村光雲,石川光明,山田鬼斎(1864‐1901)が登用された。93年に開かれたシカゴ万国博覧会には竹内の《伎芸天》,高村の《老猿》,石川の《白衣観音》が出品されたが,これらが明治期の木彫を代表する作品であった。…
※「長沼守敬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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