長生寺(読み)ちようしようじ

日本歴史地名大系 「長生寺」の解説

長生寺
ちようしようじ

[現在地名]都留市下谷

桂川の左岸、同川に架かる院辺いんべ橋北方に位置する。曹洞宗。山号の大儀山は建立の地である羽根子はねこの山が中国の大儀山に似ていることにちなむという(甲斐国志)本尊釈迦如来。「寺記」は文明元年(一四六九)甲斐守護の武田信昌による開創と記すが、これは末寺である用津ゆうしん院の同六年の成立に先行させようとする後代の創作のためか、宝永三年(一七〇六)の長生禅寺由緒書(長生寺文書)と「甲斐国志」に文明元年の記述はみられない。「甲斐国志」によると、永正八年(一五一一)郡内ぐんない領主小山田信有(契山)が羽根子の山間に当寺を建立して開基となり、用津院三世の一道光円を開山招請。この時一道は用津院の開山鷹岳宗俊を当寺の開山に推薦、さらに一道の師用津院二世積桂を当寺の二世とし、自身は三世となる。


長生寺
ちようせいじ

[現在地名]竹原市竹原町 地蔵

市街地東寄りの山麓にあり、真言宗醍醐派、不老山春秋院と号す。「竹原下市一邑志」(「竹原市史」所収)によれば、天正一三年(一五八五)豊臣秀吉の四国攻めにより伊予の河野通直は竹原浦に隠棲、二四歳で病死した。小早川隆景は通直のために当寺を建て二〇〇石を付し、通直の戒名長生院殿月渓宗円大居士から寺名を付けた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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