竹原塩田(読み)たけはらえんでん

百科事典マイペディアの解説

竹原塩田【たけはらえんでん】

江戸時代,安芸(あき)国竹原(現広島県竹原市)に造られた入浜(いりはま)塩田。1646年から干拓された大新開(おおしんがい)の一部が塩田に充てられ,赤穂(あこう)から技術者を招いて塩浜を試作した。1650年・1652年と造成を続け,塩田面積は60町9反余にのぼった。さらに1725年・1780年・1833年と新浜が造られていき,18世紀初めには25〜28万俵(5斗(と)俵)を産し,販売代銀は1000貫を超えた。この間,1759年上層浜子(はまこ)の指導で賃上げを要求した塩田騒動が起き,1827年には下層浜子が20間にわたる塩焼き放棄をもって賃上げ要求を計画している。薪などを供給していた諸村の反対で遅れていた石炭焚きの導入は1818年に全面的に切り替えられた。当地の技術は備後(びんご)国・伊予(いよ)国などの塩田開発に際して導入された。

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世界大百科事典 第2版の解説

たけはらえんでん【竹原塩田】

江戸時代,現在の広島県竹原市につくられた入浜塩田。安芸国賀茂郡竹原下市(しもいち)村では1646年(正保3)2月から翌年にかけ,郡代官鈴木四郎右衛門主導下に大新開(おおしんがい)が干拓されたが,その一部を塩田に改築することになり,播州赤穂から2人の技術者を招いて塩浜1軒を試作した。これが成功したので50年(慶安3)大新開の沖口沿いに31軒を築造し(慶安の古浜と呼ばれる),さらに52年(承応1)あらたに新開の中に新浜67軒を増築,98軒となった。

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