日本大百科全書(ニッポニカ) 「閉じた社会・開いた社会」の意味・わかりやすい解説
閉じた社会・開いた社会
とじたしゃかいひらいたしゃかい
société close-société ouverte フランス語
H・ベルクソンが用いた社会類型で、それらは異質な二つの道徳、すなわち閉じた道徳・開いた道徳morale close-morale ouverte(フランス語)に対応する。
閉じた社会は、本能に近い習慣や制度に由来する社会的義務によって、内から個人を拘束・威圧し、外に対しては排他的であり、自衛と攻撃の用意を怠らぬ閉鎖社会である。原始社会がそれに相当するが、程度の差はあれ、文明社会もまた閉じた社会である。家族も都市も国家も、他者を選別し、排斥し、拒否と闘争を生む。この社会の結合原理は、静止した習慣や制度によって個人を社会に服従させる、非人格的で不変の閉じた道徳である。
これに対して開いた社会は、有限な、敵対的な閉鎖性を超えた、無限の、開放的な社会であり、人類愛によって全人類を包み込む社会である。ここでの結合原理は、習慣、本能などの自然力に基づく威圧や命令ではなく、自然から人間を解放し、生命の根源に触れる歓喜を目ざして絶えず前進・向上する、人類愛の道徳、開いた道徳である。したがって開いた道徳は、習慣や制度といった非人格的な力によって担われるのではなく、選ばれた宗教的・道徳的天才の人格的な「呼び声」(英雄の呼び声)そのものであって、家族や国家の閉じた道徳を超えた、愛において結ばれた人類社会に対応する。
ベルクソンは、こうした人類愛を結合原理とするイデアルな開いた社会と、家族愛や祖国愛に基づくリアルな閉じた社会とは、まったく異質の社会であるとし、静的・停滞的な後者から「生命の飛躍」によって動的・創造的な前者に超越できるとした。この2種の社会と道徳の対置によって、ベルクソンはデュルケームの社会学的宗教・道徳理論を哲学的に批判したが、同時に多くの批判を浴びた。
[田原音和]
『H・ベルクソン著、平山高次訳『道徳と宗教の二源泉』(岩波文庫)』