改訂新版 世界大百科事典 「防長大一揆」の意味・わかりやすい解説
防長大一揆 (ぼうちょうだいいっき)
1831年(天保2),長州藩全藩を席巻した大百姓一揆。天保大一揆ともいう。長州藩は1829年(文政12)に産物会所を設けて特権的な豪農商を御用達に任命し,翌年には薬種と綿以外のいっさいの商品の他国からの仕入れを禁止して,農民の商品経済を藩の厳重な統制の下に置いた。31年7月末,この産物政策にからんで,吉敷(よしき)郡小鯖村の皮番所での御用達商人と農民の紛争が発端となり,百姓一揆が勃発した。7月に瀬戸内海沿岸地帯の三田尻,山口,小郡を中心に広がり,9月には瀬戸内海沿岸の他の地域,中部山間部,日本海沿岸地帯へと波及し,代官らの取締りも効果を示さず,一門寄組以下正規藩兵が城下入口の警固と鎮圧に出動した。一揆は,総勢10万とも13万とも言われる長州藩政史上最大のものとなり,9月から10月に入ってもなお散発的に続いた。一揆の要求は商品流通の自由のほか,年貢の軽減や村政の改革に及び,参加者も商品生産者農民から貧農まで広く見られ,一揆指導者には歩き鍛冶屋や田舎大工という,雑業に携わる階層が登場した。長州藩要路は産物会所ほか専売制の全面廃止という融和案でこの大一揆を切り抜けたが,翌年,翌々年に支藩領で一揆が起き,大塩平八郎の乱が伝わるや37年にも本藩と支藩で一揆が続いた。これら一連の一揆で長州藩の受けた打撃は大きく,やがて38年から長州藩天保改革が始まる底流となった。
執筆者:井上 勝生
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報