日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿賀沖油・ガス田」の意味・わかりやすい解説
阿賀沖油・ガス田
あがおきゆがすでん
新潟市の中心から北東海上16キロメートル、阿賀野(あがの)川河口から10キロメートルの海底の油・ガス田。1971年(昭和46)に日本海洋石油資源開発と出光石油開発の共同開発によって発見された。1974年8月沖合い水深70~90メートルに基礎を置く海上プラットホームが竣工(しゅんこう)し、1976年9月生産開始、1998年(平成10)秋まで操業した。日本では初めての本格的な海洋油田として歴史に残る。阿賀沖背斜構造に地震探鉱(エアガン)によって発見され、第三紀鮮新世初期の西山層の深度2092メートルと第三紀中新世晩期の椎谷(しいや)層2119メートルの二つの油層がある。ガスの成分構成はメタン95.75%、炭酸ガス0.03%、窒素0.78%で、1972年3月当時の地元紙に、日本最大でかつ低硫黄(いおう)の良質油田の発見として騒がれた。当時日産6000バレルは県内生産量の油量なら20%、ガス量なら25%を占めるものであった。なお油/ガス生産比率の前者が大なる場合が油・ガス田であり、後者の比率が高い場合がガス・油田とよばれる。長らく洋上にあってひときわ目だっていた原油汲み上げプラットホームは、現在は魚礁として沿岸近くの海底に沈められて、再利用されている。
[高津斌彰]
『石油資源開発株式会社編・刊『石油資源開発株式会社三十年史』(1987)』▽『帝国石油株式会社編・刊『帝国石油五十年史』(1992)』▽『天然ガス鉱業会編・刊『日本の石油と天然ガス』(1998)』▽『日本海洋石油資源開発株式会社編・刊『日本海に油田を拓く――日本海洋石油資源開発株式会社25年史』(1996)』