離宮院跡(読み)りきゆういんあと

日本歴史地名大系 「離宮院跡」の解説

離宮院跡
りきゆういんあと

[現在地名]小俣町 離宮

国鉄参宮線宮川みやがわ駅南側一帯で、南西から張出した段丘面上にあり、南縁は宮川の旧河道で、そこを汁谷しるたに川が流れ、比高約五メートルの段丘崖となっている。現在の官舎かんしや神社の所在地および離宮院公園三万五千平方メートルが国指定史跡となっている。汁谷川は現在小流であるが、宮川の分流をなしていた頃は当地まで舟運があったと思われ、これが離宮院の地として選定された一つの理由であろう。多気たき明和めいわ町斎宮跡および内宮まで、ともに約七キロの位置である。

当院は、斎王が三時祭(六月・一二月の月次祭と神嘗祭)のために多気たけの斎宮(現明和町)から参宮する際に宿する離宮で、延暦一六年(七九七)八月、度会郡沼木ぬき高川原たかかわら(現伊勢市)から湯田ゆた宇羽西うわし村の当地に移された(神宮雑例集、「園太暦」延文二年一二月九日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「離宮院跡」の解説

りきゅういんあと【離宮院跡】


三重県伊勢市小俣町にある宮殿跡。JR参宮線宮川駅のすぐ南に位置し、かつて斎王が三節祭(9月の神嘗祭(かんなめさい)と6月、12月の月次祭(つきなみさい))に奉仕するために斎宮(さいくう)(現在の明和町(めいわちょう))から伊勢神宮に向かう際、潔斎のために一時滞留する、斎王宮の離宮があった。もとは沼木郷高川原(現伊勢市)にあったが、797年(延暦16)に現在地に移された。離宮院の鎮守として、神宮祭主の大中臣(おおなかとみ)氏が氏神である春日神4座を祀り、利便性から824年(天長1)にここが斎宮となる。839年(承和6)に火災で全焼し、斎宮は元の場所に戻ったが、離宮は再建された。その後は斎宮の廃絶とともに離宮院も同じ運命をたどった。1924年(大正13)に国の史跡に指定された。廃絶した離宮院の跡地は現在もほとんどが森林のまま残されており、敷地内には土塁の一部が残ってその標柱も立ち、往時をわずかに偲ばせる。現在は芝生広場などが広がる離宮院公園として整備されている。JR参宮線宮川駅から徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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