空中に張った電線を支える柱のことで,電柱ともいう。1854年(安政1)2月,アメリカのペリー提督が徳川家定に献上したモールス電信機の通信実況展覧が行われたが,このとき立てられた杉の木の柱が日本最初の電信柱である。69年(明治2)の東京~横浜間の電報業務開始に伴い593本の電信柱が立てられたのをはじめ,電信,電話,電灯用の電柱が全国に立てられていった。欧米の都市では,電線を支えるためには,その初めから道沿いの建物の壁に碍子(がいし)で留めつけていたが,日本では建物の素材や都市構造の違いもあってか,都会にも電信柱が林立し,日本特有の都市風景となった。しかし1964年の東京オリンピックのころから都市の美観上の問題として取り上げられるようになり,また通信技術の発達もあって,地下ケーブルなどに切り替えられるなど,都市中心部からは姿を消していく傾向にある。
電柱は早くから広告媒体として利用された。1890年5月30日付の東京の《時事新報》,6月25日付の《大阪朝日新聞》にこの募集広告が掲載されている。1901年には東京に電柱広告専門取次会社も設立された。明治末の電柱広告では〈仁丹〉が断然トップで,2位の〈花王石鹼〉の3倍もあったという。当時から電柱広告は,電柱の上部に取りつけるものと,下部に取りつけるものとに分かれ,上段は三角柱型ガラス入りの行灯(あんどん)式看板広告,下段は電柱に直接塗りつけたり,巻きつけた塗り広告で,上段の広告には電灯を入れていたので,旅館や料理屋など夜間営業の広告主がよく利用した。16年ころ,このガラス入り看板広告が危険だと警視庁が警告,以後トタン板にペンキ塗装のものに代わった。明治,大正期から昭和中期にいたるまで有力な広告媒体であった電柱も,マスコミの発達をはじめ広告媒体の多様な展開のなかでしだいにその位置も下がってきたが,現在でも道路沿いなどに広く利用されている。
執筆者:小倉 重男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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