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三輔 さんぽSan-fu

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

三輔
さんぽ
San-fu

中国,漢代の首都長安周辺の行政区画。長安およびその東部地区を京兆尹 (いん) ,北部地区を左馮翊 (さひょうよく) ,西部地区を右扶風という。この地は秦までは内史と呼ばれ,文帝時代に左内史,右内史となり,武帝時代に三輔の制がしかれた。三輔の長官は郡の大守と同秩であったが,その地位九卿に比されて,しばしば朝政に参画した。

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世界大百科事典 第2版の解説

さんぽ【三輔 Sān fǔ】

中国の前漢時代,都の長安を中心に設けられた3行政区画の総称。武帝の前104年に制定され,長安を含んだ東部を京兆尹(けいちよういん),北部を左馮翊(さひようよく),西部を右扶風(ゆうふふう)と称し,長官はみな長安城中に駐在した。これと並んで京輔・左輔・右輔都尉をおき,三輔都尉と称して警察事務を分担させた。後漢では都が洛陽に移ってからも,京兆尹以下の名称は存続したが,実質は一般の行政区画と変わらなかった。

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世界大百科事典内の三輔の言及

【三輔黄図】より

…中国,長安(現,西安)を中心にその近郊に位置する三輔(京兆尹(けいちよういん),左馮翊(さひようよく),右扶風(ゆうふふう))の地域の,主として漢代の古跡を記述した地理書。宮殿,苑囿(えんゆう),陵墓などの来歴を述べ,ときにそうした場所にまつわる伝説も引用される。…

【陝西[省]】より

…秦に代わった漢(前漢)は秦の都咸陽(かんよう)の南,渭河の南岸に新都を築いて長安と称し,天下の政治・経済・文化の中心としたが,経済の中心はしだいに東に移動し,1世紀の初め漢王朝がいったん中断して後漢が成立すると都は洛陽に定められた。秦は本省の地域を三分し,関中を内史といって中央の直轄,北部を上郡,南部を漢中郡とし,漢では秦の内史を京兆尹(けいちよういん),左馮翊(さひようよく),右扶風(ゆうふふう)(合わせて三輔(さんぽ)という)に分けて司隷校尉(しれいこうい)の所轄とし,北部は上郡・西河・朔方の3郡として幷州(へいしゆう)に,南部を漢中と武都の2郡として梁州に所属させた。三国時代には関中は雍州に属し,南部の東半とともに魏の領土となり,西半は蜀の領土に入ったが,北部は匈奴(きようど)に占拠されて中国の支配から離れたのである。…

【長安】より

…3道の中央部分が馳道つまり皇帝の車馬の専用道路である。城内は里に区画され,《三輔黄図》によると160あったという。里もそれぞれ牆垣でかこまれ,その内部は巷で区切られていた。…

※「三輔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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