江戸初期の譜代(ふだい)大名。上野(こうずけ)(群馬県)前橋城主。老中。徳川氏の重臣雅楽助(うたのすけ)酒井氏の嫡流、三河(愛知県)西尾城主重忠(しげただ)の長子として西尾で生まれる。1590年(天正18)徳川秀忠(ひでただ)の家老となり、秀忠が2代将軍となると、土井利勝(としかつ)、大久保忠隣(ただちか)、本多正信(まさのぶ)らとともに補佐の中心となった。1617年(元和3)遺領を相続し、これまでの知行(ちぎょう)とあわせて8万5000石を領し前橋を居城とした(のち加増を受け12万石余となる)。23年家光(いえみつ)付きとなり、同年家光が将軍となると、またよく補佐の任を果たした。32年(寛永9)大御所(おおごしょ)秀忠没後は江戸城西の丸の守衛を命ぜられ、ここに住した。34年家光上洛(じょうらく)中に失火により西の丸が焼け、その後の措置を責められ一時出仕を止められたが、まもなく赦(ゆる)されている。
[林 亮勝]
『進士慶幹著「酒井忠世と土井利勝」(『江戸幕府 上』所収・1964・人物往来社)』
織豊期に徳川家康に仕えた武将。江戸期には譜代大名となる。三河国西尾に生まれる。幼名は万千代,字は与四郎。右兵衛大夫,雅楽頭(うたのかみ)を名のる。父は重忠。母は松平忠輝の家臣山田重辰の女。家康に仕え,1590年(天正18)8月秀忠に付属され家老となる。1601年(慶長6)5000石を加増,1万石を領する。17年(元和3)7月父の遺領を継ぎ厩橋(まやばし)城を居城とし,22年には12万2500石余を領した。秀忠の死後も元老的な老中として幕閣に残った。
執筆者:所 理喜夫
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(小池進)
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