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青春残酷物語

デジタル大辞泉プラスの解説

青春残酷物語

1960年公開の日本映画。監督・脚本:大島渚。出演:桑野みゆき、川津祐介、久我美子、浜村純、氏家慎子、森島亜紀、田中晋二ほか。第11回ブルーリボン賞新人賞(大島渚)受賞。

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世界大百科事典 第2版の解説

せいしゅんざんこくものがたり【青春残酷物語】

《愛と希望の街》(1959)に続く大島渚(1932‐ )監督の第2作目の映画。1960年6月,安保闘争のさなかに公開され,伝統的な映画会社松竹の若い監督が反逆的青春を描いたということから,7月公開の吉田喜重監督《ろくでなし》とともに,〈松竹ヌーベル・バーグ〉と呼ばれ,以後,輩出する若手・新人監督の活躍を総称した〈日本ヌーベル・バーグ〉の代表作とされるに至ったが,当の大島はたんに暴力セックスに着目したその風俗的呼称に激しく反駁(はんばく)した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

青春残酷物語
せいしゅんざんこくものがたり

日本映画。1960年(昭和35)、大島渚(おおしまなぎさ)監督。真琴(桑野(くわの)みゆき、1942― )と清(川津祐介(かわづゆうすけ)、1935― )という恋人同士が無軌道な行動の果てに、悲惨な死を迎えるまでを描く。本作の製作会社である松竹の映画の作風は、健全な庶民生活を温かいまなざしで描くものであり、それは撮影所のあった場所、大船から「大船調」とよばれた。本作はそれに対抗する暴力的、反社会的な作品であるが、当時停滞していた松竹に新機軸をもたらした。それはフランス映画の新しい流れである「ヌーベル・バーグ」にちなんで、「松竹ヌーベル・バーグ」とよばれ、大島はその中心的人物となる。この松竹ヌーベル・バーグからさなざまな作品が生まれたが、この流れは短命に終わった。[石塚洋史]
『『世界の映画作家31 日本映画史』(1976・キネマ旬報社) ▽『映画史上ベスト200シリーズ 日本映画200』(1982・キネマ旬報社) ▽佐藤忠男著『日本映画史3、4』増補版(2006・岩波書店) ▽猪俣勝人・田山力哉著『日本映画作家全史 下』(社会思想社・現代教養文庫) ▽文芸春秋編『日本映画ベスト150――大アンケートによる』(文春文庫ビジュアル版)』

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世界大百科事典内の青春残酷物語の言及

【青春映画】より

… 青春映画という呼称が一般的に使われはじめるのは戦後になってからで,《青い山脈》(1949)をはじめとする〈石坂洋次郎物〉を中心に打ち出された東宝青春映画路線以来のことで,《青い山脈》が当時〈健康な作品〉と評されたように,ここにも〈明朗青春編〉のイメージが受け継がれる。そして戦前の〈あかるい蒲田映画〉,鈴木伝明主演の〈スポーツ映画〉を受け継いで《若大将》シリーズがつくられるといったぐあいに,青春映画はもっぱらその〈明るさ〉を売りものにしてきたが,他方では,小津安二郎監督《青春の夢いづこ》(1932)からドイツ映画《青春》(1941公開)をへて黒沢明監督《わが青春に悔なし》(1946)に至る青春の挫折を描いた〈暗い〉青春映画の流れもあり,また日本最初の〈接吻映画〉として知られる佐々木康監督,大坂志郎,幾野道子主演の《はたちの青春》(1946)の題名にこめられた青春=性の解放のイメージは,1950年代に入って高校生の〈桃色遊戯〉を描いた〈性典映画〉(《十代の性典》1953)や学生の乱行を描いた〈太陽族映画〉(《太陽の季節》1956)をへて青春映画のもう一つのシンボルと化し,フランスの〈ヌーベル・バーグ〉に次ぐ〈松竹ヌーベル・バーグ〉の大島渚監督《青春残酷物語》(1960)に至って,屈折した青春のイメージが〈明朗青春編〉の概念を覆すことになる。さらに70年代には神代辰巳監督の《青春の蹉跌》(1974)で青春=挫折のイメージは極点に達する。…

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