日本歴史地名大系 「青木保」の解説 青木保あおきほ 新潟県:佐渡郡新穂村青木保青木に所在したと思われる保。康永三年(一三四四)一一月一六日の足利尊氏寄進状(園城寺文書)によれば、飛騨国内の所領の替地として近江園城(おんじよう)寺に「青木」保の地頭職などが寄進された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「青木保」の解説 青木 保アオキ タモツ 大正・昭和期の機械工学者 東京帝大教授。 生年明治15(1882)年6月4日 没年昭和41(1966)年3月10日 出身地大分県 旧姓(旧名)工藤 学歴〔年〕東京帝大卒 経歴大正9年母校・東京帝国大学教授となる。近代兵器、のち民需品の製造のために精密な計測技術・機器の研究に取り組む。日本の精密機械工学における開拓者の一人で、時計の研究で知られる。日本時計学会会長。著書に「時計」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青木保」の解説 青木保(2) あおき-たもつ 1938- 昭和後期-平成時代の文化人類学者。昭和13年10月30日生まれ。立大助教授をへて,昭和58年阪大教授。のち政策研究大学院大教授。47年から48年までタイの上座部仏教僧院で修行し,その体験を「タイの僧院にて」にまとめる。比較文化,文明論などの分野で活躍。平成19年文化庁長官。東京出身。東大卒。著作に「儀礼の象徴性」(サントリー学芸賞),「日本文化論の変容」(吉野作造賞)など。 青木保(1) あおき-たもつ 1882-1966 大正-昭和時代の機械工学者。明治15年6月4日生まれ。大正9年母校東京帝大の教授となる。近代兵器,のち民需品の製造のため,精密な計測技術・機器の研究にとりくむ。日本の精密機械工学の開拓者のひとりで,時計の研究で知られる。日本時計学会会長。昭和41年3月10日死去。83歳。大分県出身。旧姓は工藤。著作に「時計」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by