青野聰(読み)あおのそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「青野聰」の意味・わかりやすい解説

青野聰
あおのそう
(1943― )

小説家。母・松井松栄の三男として東京世田谷の梅丘(うめがおか)に生まれる。父は、『文芸戦線』誌の創刊などで知られる、初期プロレタリア文学の指導的な文芸評論家青野季吉(すえきち)。松栄は季吉の正妻ではなく、父が妻みづほと、同じく世田谷の経堂に在住するという複雑な環境に育った。2歳で松栄が結核により死去(享年36歳)、6歳のとき、疎開先の秋田から上京してきた継母との同居生活が始まっている。1960年(昭和35)、青野籍に正式入籍。

 1962年、早稲田大学第一文学部(演劇専修)に入学するが、1966年中途退学して渡欧。1977年2月まで、継母の死などによる2度の帰国のほかは、パリを拠点にロンドン、ギリシアイスラエル、インド、メキシコ、グアテマラボリビアなどを放浪した。この間の1972年5月には「カトマンズの友」などからなる紀行散文集『天地報道』を刊行。

 1978年、パリで旅行社に勤めながら執筆していた『さまよえる日本人とオレンジ色の海』(後に「オレンジ色の海」と改題、『愚者の夜』に収録)が出版され、さらにこの年の『文芸』11月号に発表した「母と子契約」が、自らの「生い立ちをモデル」としながらも、「契約」という概念を「血の繋がった母子の関係を疑わない」日本の私小説的伝統に持ち込んだ認識の根底性をもって文壇に迎えられ、翌年、第80回芥川賞候補にあげられる。

 1979年、8年間の放浪の末に帰国した主人公と、遅れて来日したロッテルダム出身の妻との破局から関係再生への道程を描いた「愚者の夜」(『文学界』6月号)により、第81回芥川賞を受賞。発表当初、どこで「I hate my mother country が I love my mother countryにくるりといれかわった」のか「おれはわかっちゃいない、あいかわらずなにもわかっちゃいないということだけがわかっている愚者だ」との主人公の述懐に底流する、容易には祖国=共同体と一体化できない帰還者が抱える焦燥感のリアリティーを評価されたこの作品は、のちに「文学の世界同時性」「『新世代感覚』に依拠した世界との〈交通〉」(吉岡栄一『青野聰論』)の表現でもあったと、その先駆性が指摘されることとなる。

 以後、「猫っ毛時代」(『文学界』1982年7月号)や「老母の家」(『文芸』1982年8月号、後に「十八歳の滑走路」と改題)から、記憶に存在しない実母への慕情を綴った『母よ』(1991。読売文学賞小説賞)に結実する半自伝的系統、および『試みのユダヤ・コムプレックス』(1981)、「鳥人伝説」(『新潮』1981年4月号)、『女からの声』(1984。野間文芸新人賞)から『カタリ鴉(がらす)』(1986)に連なる、共同体への帰還と定住をモチーフとする系統の作品を発表。いずれにおいても、『自己への漂流――意識の錬金術』(1988)で「セッション」と呼ばれることになる、「書く現在」と「書かれる過去」との対話というメタ小説的な方法論が濃密に反映されており、この実験は『人間のいとなみ』(1987)で一定の文学的達成を獲得するに至った。芸術選奨文部大臣賞を受けたこの長編では、老夫婦の行方を追い、その日々の探索行を「ありのまま」に報告せよと命じる「司令者」と、主人公との間でたたかわされる緊迫したやりとりを通じて、「小説家のいとなみ」のありようがきわめてスリリングに問い返されている。

他の主要な著作として、『遊平の旅』(1992)、『友だちの出来事』(1994)、『永遠のジブラルタル』(1999)が挙げられ、『町でいちばんの美女』(1994)、『ありきたりの狂気の物語』(1995)など、アメリカの作家チャールズ・ブコウスキーCharles Bukowski(1920―1994)の翻訳も手がけた。

 1996(平成8)~1999年、三島由紀夫賞選考委員。1997年4月からは多摩美術大学で教鞭もとっている。

[水谷真人]

『『天地報道』(1972・烏書房)』『『さまよえる日本人とオレンジ色の海』(1978・草思社)』『『試みのユダヤ・コムプレックス』(1981・文芸春秋)』『『十八歳の滑走路』(1983・河出書房新社)』『『カタリ鴉』(1986・集英社)』『『自己への漂流――意識の錬金術』(1988・岩波書店)』『『遊平の旅』(1992・毎日新聞社)』『『友だちの出来事』(1994・新潮社)』『『永遠のジブラルタル』(1999・講談社)』『『母と子の契約』(河出文庫)』『『愚者の夜』(文春文庫)』『『猫っ毛時代/鳥人伝説』『太陽の便り鼻から昇る』『人間のいとなみ』(福武文庫)』『『母よ』(講談社文芸文庫)』『『女からの声』(講談社文庫)』『チャールズ・ブコウスキー著、青野聰訳『町でいちばんの美女』『ありきたりの狂気の物語』(新潮文庫)』『『昭和文学全集31』(1988・小学館)』『吉岡栄一著『青野聰論』(1989・彩流社)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青野聰」の解説

青野聰 あおの-そう

1943- 昭和後期-平成時代の小説家。
昭和18年7月27日生まれ。青野季吉(すえきち)の3男。「母と子の契約」で注目され,昭和54年「愚者の夜」で芥川賞。「試みのユダヤ・コムプレックス」などで海外放浪体験から生まれたテーマを実験的手法で追究する。63年「人間のいとなみ」で芸術選奨。平成4年「母よ」で読売文学賞。東京都出身。早大中退。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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