日本歴史地名大系 「革手城跡」の解説
革手城跡
かわてじようあと
江戸時代の
清和源氏の流れをひく土岐氏は光衡の時、承久の乱後、大内惟信の後を継いで美濃の守護となったという。美濃国はのち北条得宗家の支配するところとなったので、鎌倉時代の後半に土岐氏が守護となった徴証はない。しかし一族は美濃の各地で確実に繁衍していった。土岐頼貞は足利尊氏とともに内乱を戦って功をあげ、守護に任ぜられた。頼貞の次男頼遠も初めは足利家の有力な武将として活躍したが、勢力の拡大とともにしだいに傲慢となり、康永元年(一三四二)光厳上皇を襲撃した科により斬罪に処せられた。頼遠の兄頼清の子頼康は、尊氏を助けて室町幕府の安定化に尽力したため、幕府内で重く用いられ、養子康行が家督を継いだ時には美濃・伊勢・尾張三ヵ国の守護となっていた。しかし、明徳元年(一三九〇)における小島合戦に敗れて没落し(康行の乱)、代わって頼康の弟池田頼世(頼忠)が、次いで頼益が美濃の守護となり当城に入った。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報