日本歴史地名大系 「須原村」の解説
須原村
すはらむら
須原村
すはらむら
須原村
すはらむら
木曾川上流から中山道沿いに、
文明五年(一四七三)木曾家豊が伊那郡の小笠原定基とともに、東濃の土岐氏を討つため出兵していることは小笠原文書によって明らかであるが、定基が
宝暦七年(一七五七)の「吉蘇志略」には「定勝寺 (中略)其後石川備前守光吉之れに移す、此地に殿閣を経営す、是れ木曾義在の館の遺址なり」とあって、現在の
須原村
すわらむら
須原村
すはらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報