願正寺(読み)がんしようじ

日本歴史地名大系 「願正寺」の解説

願正寺
がんしようじ

[現在地名]熊本市安政町

かつての安巳橋やすみばし通にあり、開海山と号し、真宗大谷派、本尊阿弥陀如来西南戦争で焼ける以前は現白川公園に南面する通りの南裏通りにあり、この通りは願正寺町とよばれた。寺跡は光勝こうしよう寺東隣で、現在墓地のみが残る。「国誌」に「寛永九年忠利君御入国ノ比皎円当国ニ来リ、同年十一月立田口ニ寺地ヲ賜フ、同十三年建立、西派興門跡ノ末寺也、慶安二年願ニ依テ替地トシテ手取ノ小路ニ寺地ヲ賜ヒ寺ヲ移ス、其後恵慶住持ノ時寛文十年十二月東本願寺ノ直下ニ属ス」とある。


願正寺
がんしようじ

[現在地名]佐賀市呉服元町

山号は宝海山。浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の戦で鍋島家は西軍に属したが、敗戦後、鍋島家を保護してくれた西本願寺の准如に報いるため佐賀城下の高木たかき町に建立。一世住職は熊谷寿閑である。勝茂は寺領四〇〇石を与えて保護するかたわら、

<資料は省略されています>

として、佐賀領内の浄土真宗寺院をすべて西本願寺派とするとともに、願正寺を法頭職として領内の同宗寺院を支配させた(願正寺文書)


願正寺
がんしようじ

[現在地名]豊田市桝塚西町 南山

真宗大谷派、本尊阿弥陀如来。貞和元年(一三四五)専信房専海による開基という。野寺のでら(現安城市)本証ほんしよう寺の末寺。寺蔵の専信房専海画像裏書と方便法身画像裏書には、実如の花押が押されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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