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飛鳥岡本宮 アスカノオカモトノミヤ

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デジタル大辞泉の解説

あすか‐の‐おかもとのみや〔‐をかもとのみや〕【飛鳥岡本宮】

明日香村にあったとされる、舒明(じょめい)斉明天皇の皇居。

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百科事典マイペディアの解説

飛鳥岡本宮【あすかおかもとのみや】

舒明天皇と皇后の斉明天皇の皇居。《日本書紀》によると,舒明2年10月舒明天皇は飛鳥岡のそばに岡本宮を営んだが,同8年6月炎上し田中(たなか)宮に移った。656年斉明天皇は飛鳥岡本に後飛鳥岡本(のちのあすかおかもと)宮を造り,川原(かわら)宮から移ったが同年炎上。

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世界大百科事典 第2版の解説

あすかおかもとのみや【飛鳥岡本宮】

舒明天皇の飛鳥岡本宮と,その皇后であった斉明天皇の後飛鳥岡本宮がある。630年(舒明2)10月,舒明天皇は飛鳥岡のそばに,岡本宮を営んだ。宮号は,飛鳥岡と称される丘の麓に造営されたことに基づく。この岡本宮は,636年6月に炎上したが,656年(斉明2),斉明女帝は同じ地に,後飛鳥岡本宮を営んだ。斉明紀の記述では,同年,後飛鳥岡本宮に火災がおこっている。ただし,壬申の乱後,天武天皇は,後飛鳥岡本宮の南に,飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)を営んでいるから,一部分の建物の焼失にとどまったらしい。

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大辞林 第三版の解説

あすかのおかもとのみや【飛鳥岡本宮】

舒明・斉明両天皇の皇居。伝承地は明日香村雷いかずち・奥山付近。

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世界大百科事典内の飛鳥岡本宮の言及

【飛鳥板蓋宮】より

…文献資料によっても,飛鳥板蓋宮の所在地は不分明である。《扶桑略記》は一説云として,飛鳥岡本宮と同地とする説を掲げている。《日本書紀》によれば,飛鳥岡本宮は舒明2年(630)10月~8年6月,後飛鳥岡本宮は斉明2年,天武1年(672)に存在していたことが確実であり,飛鳥板蓋宮の存続していた時期は飛鳥岡本宮と後飛鳥岡本宮の中間であるから,《扶桑略記》の一説が成立する可能性はある。…

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