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駅伝制度 えきでんせいど

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

駅伝制度
えきでんせいど

近代以前の交通機関制度。中央集権的な専制国家では,中央と地方との連絡機関として駅伝制が古くから発達していた。中国では,駅伝の駅は騎馬で,伝は馬車で往来するのに使われ,秦,漢から隋,唐にかけては地方州県ごとに伝が,都を中心に四方の幹線路には 30里 (約 12~13km) おきに駅がおかれ,南北運河には水駅もあり,唐では全国で駅数 1639にも達した。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

駅伝制度
えきでんせいど

駅伝とは、通信および交通制度の一つの形態であり、駅制とも、駅逓(えきてい)ともよばれてきた。現在盛んに行われている駅伝競走も、この制度に由来する。駅の本字は「驛」であり、馬偏がついているように、宿場に備えられた継立て用の馬のことをさした。転じて宿場の意味になり、宿駅ともいう。古代の日本では、驛を「うまや」と訓じた。伝の本字は「傳」であり、宿場における継立て用の車馬を意味した。字の中に「車」という字が含まれているように、傳は宿場の車もしくは馬車をさした。転じて、馬車を備えた宿場の意味に用いられるようになる。あわせて駅伝という。道路を開いて、一定の距離ごとに宿場を設け、馬や車(馬車)を備える。それを乗り継ぎながら重要な通信を送り、あるいは交通運輸の用に供する。
 近代以前には、離れた地点に情報を伝達するにも、人間自身が赴くにも、自らの脚か、馬の脚、あるいは馬に引かせる車に頼らねばならなかった。1人の人間、1頭の馬が、遠い距離を走り通すことは困難であったから、継送または逓送の必要が生じた。ここに駅伝の制度が発達したわけである。しかも駅伝の制度は、広い範囲にわたって設けなければならない。開設するにも維持するにも、多額の費用を要する。また安全を保障するためには強い支配力を要する。したがって駅伝制度は、強大な統一国家のもとで、その支配をいっそう確固たるものとするために設けられたのであった。[山口 修]

ペルシア帝国の駅伝

西方世界において、もっとも早く駅伝制度を整えたのは古代ペルシア帝国、すなわちアケメネス朝であった。紀元前6世紀の後半、キロス大王(在位前559~前529)は、西アジア一帯を征服して大帝国を建設した。その広大な領域を統治するため、全土にわたって街道を開き、街道に沿って、1日行程ごとに宿場angaraを設けた。ここに継立ての要員と馬匹とを配置して、緊急の連絡に供したのである。こうして整備された駅伝制度はアンガレイオンangareionとよばれた。大王の命令はただちに地方の隅々に伝わり、地方の状況もいち早く大王のもとに達するようになった。古代ペルシアの街道はまさしく「大王の道」であった。大王の命令によって旅行する者は、この街道を通って宿場の施設を利用することができた。大王のための使者は、命令あるいは報告を携えて、宿場から宿場へと継送した。普通の旅行者が3か月を要する行程を、大王の使者たちは7日間で走り継いだという。こうして駅伝は大王の統治のために活用されたのであった。ペルシアと戦ったギリシアにおいては、都市国家(ポリス)が分立していたため、駅伝は発達しなかった。緊急の連絡が必要とされたときに、徒歩の飛脚が利用されたにすぎなかった。アレクサンドロス大王がギリシアから西アジア一帯にわたる大帝国を建設したのち、その後を継いだアンティゴノス1世は、ペルシア駅伝の復活を試みた。しかし数年にして死去したため、この計画も立ち消えとなる。ヨーロッパにおいて駅伝制度を完備したのは、ローマ帝国であった。[山口 修]

ローマ帝国の駅伝

ローマは前3世紀前半、アッピア街道を完成したのをはじめ、それから500年余りの間に、舗装された道路をほとんど全領域にめぐらした。この道路上に駅伝の施設を整え、帝国の大動脈としたのは、初代皇帝アウグストゥスであった。ローマの駅伝は初め、ペルシアの制度に倣って、一定の距離ごとに飛脚を配し、命令や報告をリレー式に伝達させた。やがて、この制度に改革が加えられ、特定の使者が宿場ごとに車や馬を乗り継いで全行程を走る、という方式を採用する。こうして整備された駅伝の制度は公共便cursus publicusとよばれ、もっぱら国家の公用に供せられたのである。ペルシアにしても、ローマにしても、駅伝は公衆が利用する施設ではなかった。緊急の事態が起こると、公用の使者は馬車を乗り継いで走る。もっとも急を要する際には騎馬によって走った。しかも施設の維持はその地域の責任である。人民の負担は大きく、生活も圧迫されて、4世紀には「ローマ世界の悪疫」とまで嘆かれるようになった。そこで、帝国の衰退とともにこの駅伝制度も崩れていった。[山口 修]

古代中国の駅伝

中国においても、駅伝は古くから発達していた。街道沿いに宿場を設けて宿泊の施設を整え、かつ馬や馬車を備えて連絡の用に供する制度は、前6世紀の末、春秋時代の後半にはすでにつくられていた。やがて秦(しん)が天下を統一して大帝国を建設すると(前221)、駅伝は全土にくまなく設けられ、次の漢帝国に受け継がれた。駅は主要な街道に沿って30里(約12キロメートル)ごとに設けられ、馬を備えた。また集落ごとに郵や亭が置かれ、治安の維持を図るとともに、公文書の逓送にあたった。さらに都会(主として県の役所の所在地)には伝が設けられ、馬車が備えられて、公用の使者や官僚の往来に供せられた。伝は馬車を用いるから、騎馬よりも速力が落ちる。そこで中央の命令(詔勅)の伝達や、軍事などの緊急事態には、駅が用いられ、駅使が馬を乗り継いで走った。そして高官の赴任や、公務による往来、また高官が自ら使者にたつときなどに、伝を用いた。つまり駅は緊急の通信機関であり、伝は公用の交通機関として利用されたわけである。三国時代から南北朝時代にかけては、戦乱や割拠のために、駅伝の制度も一時廃れた。しかし隋(ずい)、さらに唐の帝国が形成され、統一政治が再現すると、駅伝の制度も大いに整備される。都の長安から大きな道路が四方に向かって通じ、やはり30里ごとに駅が置かれて、緊急の通信にあたり、ときには貨物の運輸にも利用された。また駅には馬車も配して、伝馬を置き、高官などの往来に利用された。こうした唐代の制度が日本にも伝えられ、律令(りつりょう)時代の駅制がつくりあげられる。[山口 修]

モンゴル帝国の駅伝

中国の駅伝制度は、西域の諸国でも取り入れられた。またイスラム世界においても、ペルシアやローマの制度に倣って駅伝の施設を整備した。イスラムの使者は騎馬を活用し、ときにはラクダやラマを用いることもあった。しかし、駅伝の制度を広大な領域に完備して、東西の交通や通信に大きな役割を果たしたのは、モンゴル帝国であった。モンゴル帝国の領域は、アジア大陸の東端から、西はキプチャク・ハン国のロシア、イル・ハン国のイランに及ぶ。その全域にジャムjam(駅)を配置し、乗馬を多数備えたほか、宿泊の施設を整えた。公用の使者や旅行者には特別の牌(はい)(切符)が与えられ、それによってジャムの施設を利用することができた。モンゴルの時代に、内陸の道路を通じてヨーロッパとの往来が盛んになったが、それもジャム、駅伝の制度が完備された結果である。しかしモンゴル帝国が衰えると、駅伝の施設も廃絶し、陸路による東西の交流はとだえるに至る。
 その後も中国では、明(みん)代から清(しん)代を通じ、駅伝は大いに発達していた。ただし施設としては、旧来の駅・伝にかわって、「郵」と駅とが主体になっている。郵は歩卒によって官文書を逓送し、駅は馬匹によって官文書の逓送および官物の運輸をつかさどった。[山口 修]

日本の駅伝制度


沿革
馬による急使の往来は、すでに大化前代にみられる。大化改新の詔(みことのり)(646)で、駅馬(えきば)、伝馬(てんま)を置くことが示され、701年(大宝1)の大宝令(たいほうりょう)によって制度的確立をみた。律令国家の中央集権政治のもとで、中央と地方とを結ぶ官吏、公使の旅行、政令伝達、報告など、交通、通信に大きな役割を果たした。律令国家の衰退とともに11世紀以降崩壊したが、人馬による全国交通の骨格がつくられ、中世、近世に及ぶ宿駅制への原型となった。[田名網宏]
仕組み
駅路は七道およびその支道を通じて諸国の国府に至る。駅路は、大宰府(だざいふ)に通ずる山陽道を大路(たいろ)、東海、東山両道を中路(ちゅうろ)、北陸、山陰、南海、西海(さいかい)の4道を小路(しょうろ)と格づけした。駅馬は、大路の駅家(うまや)に20疋(ぴき)、中路10疋、小路5疋、伝馬は郡ごとに5疋を原則とした。駅家は原則として30里(約16キロメートル)ごとに設けられ、伝馬は郡家(ぐうけ)(郡衙(ぐんが))に置かれた。『延喜兵部式(えんぎひょうぶしき)』には、9~10世紀初頭ごろの諸国の駅家と駅馬数、諸郡の伝馬数が記されている。駅家は国司の管轄下に置かれるが、直接の運営は駅長(えきちょう)によって行われる。駅長は里(郷)長と同じく有力農民から選任される。駅家には駅子(えきし)、駅馬が常備され、乗具、鞍具(あんぐ)が備えられ、また、駅使の休息、宿泊、食事供給、駅馬の水呑場(みずのみば)などの設備をもっていた。駅戸(えきこ)は駅家に対して、駅馬の養飼、駅子の供出、駅田(えきでん)の耕作などの任務を負う戸で、駅家郷として50戸が指定されたが、20戸、30戸の戸がとくに指定される場合もあった。
 駅馬は駅戸のなかの中戸に1疋ずつ養飼させ、欠失を生じた場合は駅稲(えきとう)をもって市替(かいかえ)する。伝馬は官馬をあて、官馬のない場合は官物(郡稲)で買いあてた。駅子は駅戸のなかの課丁があたり、駅馬と一体となって駅務に徴発され、庸(よう)、雑徭(ぞうよう)は免除された。1駅家に対する駅子の人数はとくに定められていないが、駅戸の課丁数の多少によったであろう。駅子は駅馬を引いて交代で駅家に勤務し、駅使を次の駅家まで送り、次の駅家の駅子と交代する。
 駅家の財源としては、不輸租の公田として駅田(大宝令では駅起田(えききでん))がある。大路の駅家では4町、中路の駅家3町、小路の駅家2町とされた。その耕作には駅戸があたり、収穫稲は駅稲(大宝令では駅起稲)とよばれ、駅使の食料や駅馬の市替料にあてられた。駅稲は出挙稲(すいことう)として春に農民に貸し付け、秋に5割の利稲をつけて返させた。駅稲は739年(天平11)正税稲(しょうぜいとう)へ混合され、駅家の費用は正税の出挙稲で賄われた。しかし、988年(永延2)の『尾張国郡司百姓等解(おわりのくにぐんじひゃくせいらげ)』によれば、尾張国(愛知県西半部)では駅料田、伝馬料田のあったことが知られるが、正税稲、公廨稲(くがいとう)の出挙に頼れなくなったため、駅料田、伝馬料田の賃租(借耕)の直米(じきまい)(地子)によって、駅馬、伝馬の費用を賄っていたものと思われる。[田名網宏]
駅馬伝馬制の運営
一般の駅乗は神祇官(じんぎかん)の幣帛使(へいはくし)、宮内省の御贄使(みにえし)のほか、諸司臨時の事あるときの使者、朝集使、税帳使、大帳使の三度使などがある。緊急を要する謀反以上の大事、大瑞(たいずい)、軍機、災異、外敵来襲などの場合は馳駅(しえき)(飛駅)を発する。行程は1日8駅、馳駅は10駅以上、伝馬は1日70里(約37キロメートル)を原則とした。馳駅の実例では、836年(承和3)大宰府―京都の馳駅が6~13日であった。伝馬については、公使でも急を要しない場合、国司が任国に赴任する場合、罪人を官馬で送る場合などに使われた。
 駅馬乗用については駅鈴(えきれい)が、伝馬乗用については伝符(でんぷ)が下付される。駅鈴、伝符には剋数(こくすう)(剋はきざみ)が刻まれ、位階によって差がある。親王と一位は駅鈴10剋、伝符30剋から、初位(そい)以下駅鈴2剋、伝符3剋までとなっている。駅鈴は太政官(だいじょうかん)のほか、大宰府20口、三関国(さんかんこく)(伊勢(いせ)、美濃(みの)、越前(えちぜん)のち近江(おうみ))および陸奥(むつ)国4口、大・上国3口、中・下国2口が配置された。駅鈴、伝符の剋数は、乗用の駅馬、伝馬の疋数を示すものである。駅鈴の管理や給付はとくに厳重で、太政官奏によって勅の処分を仰ぐなど、乱乗の防止に意を用いた。駅使が剋数を犯して増乗すれば、1疋について杖(じょう)80、1疋を加えるごとに1等を加えるなどの処罰が行われた。[田名網宏]
衰退・崩壊
基本的には律令国家の衰退と軌を一にするものではあるが、この制度自体にも衰退、崩壊の要因は少なくはなかった。唐制の導入であったため、厩牧令(くもくりょう)、公式令(くしきりょう)をはじめ令の条文解釈が一様でなく、運営の面でも、これを利用する官吏、公使の側で適正を欠くことが多かった。駅乗範囲の拡大、駅伝使の不正濫乗の一般化、駅馬による雑物京進(ぞうぶつきょうしん)(太政官への納入運搬)などが衰退に拍車をかけた。その結果、駅子の負担の増大と、駅子の逃亡、権門・寺社の荘園(しょうえん)への逃避を招いた。国司の不正も行われた。こうして、すでに9世紀には衰退の兆しが顕著となり、11世紀初頭ころから崩壊し、荘園を中心とする中世的な私的交通、輸送へと引き継がれていった。[田名網宏]
『坂本太郎著『上代駅制の研究』(1928・至文堂) ▽田名網宏著『古代の交通』(1969・吉川弘文館)』

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