古代ローマの道路。ローマから南イタリアに伸びる最も重要な幹線道路。街道の女王と称された。前312年にケンソルのアッピウス・クラウディウス・カエクス(クラウディウス)が建設をはじめたため,彼の名がつけられている。まずローマとフォルミアエ,次いでカプアを結ぶ132マイル(195km)の道路であったが,のち次第に延長されて,ベネウェントゥムからウェヌシア,タレントゥムを経てブルンディシウム(現,ブリンディジ)に達した。石で舗装され,幅8m,全長366マイル(540km)に及ぶ。数多くの支道がある。帝政期にはプラエトル(法務官)格の監督官が管理に当たった。部分的には現在も使用されており,舗装・堤橋・里程標なども残っている。
→ローマ道
執筆者:長谷川 博隆
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古代ローマの国道。紀元前312年ケンソル(監察官)のアッピウス・クラウディウス・カエクスが着工させたところからこの名がある。前4世紀のうちにローマからカプアまで完成、前3世紀中ごろまでに南イタリアのブルンディシウム(現ブリンディジ)まで延長された。全長540キロメートル。「道路中の女王」と称され、アドリア海を隔ててエグナティア街道Via Egnatia(前130年ごろ建設。バルカン半島を横断する)に接続し、南イタリアやバルカン半島のギリシア人世界とローマとの交流のうえで、大きな役割を果たした。現在でも、舗装の一部や沿道の史跡がみられ、ローマ市近辺ではアッピア旧街道Via Appia Anticaとして重要史跡の一つとなっている。
[吉村忠典]
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古代ローマの最も重要な道路。前312年のケンソル,アッピウス・クラウディウス・カエクスにちなんで命名された。ローマから南に走り,カープアをへて,ブルンディシウムに及ぶ。「道路の女王」といわれる。
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…前312年のケンソル,前307年と前296年のコンスル(執政官)。ケンソルとして,アッピア水道とアッピア街道を建設し,宗教政治上の諸問題を解決し,土地を所有しない市民をトリブスにくりいれ,解放奴隷の子息で元老院を補充した。サムニウム人,エトルリア人と戦い,ピュロス戦争では雄弁と豪勇さを示した。…
…つづく共和政期に公共事業はローマ国家の対外進出と軌を一にして飛躍的展開をみせた。ローマ市を囲む不連続な塹壕線はガリア人による劫掠を機に幅4.5m,高さ8.5mを超す城壁に替えられ(いわゆる〈セルウィウスの城壁〉,前378),ラティウム地方制圧に続いてイタリア半島征服が始まる前4世紀後半には,ローマ市を中心とする放射線状の軍用道路網(前312年のアッピア街道が最古)や上水道(前312年のアッピア水道Aqua Appiaが最古。ただし地下式)の敷設も緒についた。…
…現実的な性格のローマ人の生んだ,優れた土木技術の所産で,本来は軍事的な目的に資するものであったが,広大な版図の商業的・社会的な連係を促し,ローマ文化を均質化し,拡大するのに役立った。まず,前312年に建設されたアッピア街道がローマとカプアを結んで以来,おもにローマから放射線状に,イタリア半島の各地にのびる公道が建設されていき,共和政の末までに半島の道路網はほぼ完備し,アウグストゥス以降帝政期には半島内の道路の修復・整備と属州の道路の建設,管理機構の確立に力が注がれた。特にティベリウス帝はダルマティア,クラウディウス帝はガリア,ハドリアヌス帝はアフリカと東方属州に関心を示した。…
※「アッピア街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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