高城神社(読み)たかきじんじゃ

精選版 日本国語大辞典 「高城神社」の意味・読み・例文・類語

たかき‐じんじゃ【高城神社】

埼玉県熊谷市宮町にある神社。旧県社。祭神高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)崇神天皇ころ開創と伝えられる。延喜式内社。熊谷総鎮守。明神様。

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日本歴史地名大系 「高城神社」の解説

高城神社
たかぎじんじや

[現在地名]熊谷市宮町

国道一七号(旧中山道)の北側に鎮座する。旧県社で、祭神は高皇産霊尊。「延喜式」神名帳にみえる大里郡の「高城タカキノ神社」に比定される。鎮座地は荒川の沖積扇状地内にあり、古くから地下水の自噴する湧水地が多く、古代祭祀とかかわりがあったと考えられる。「巡礼旧神祠記」には「高木神社」と記される。鎌倉初期に熊谷直実が崇敬したという社伝が残る。高城神社縁起(高城神社文書)によると、寛文一〇年(一六七〇)境内洞穴から霊水が湧出し、これを用いると諸病治癒に霊験があるという信仰が起こり、翌一一年おし(現行田市)城主阿部忠秋・正能親子の助力を得て社殿が再建された。

高城神社
たかしろじんじや

[現在地名]諫早市西小路町

しろ山に鎮座。古くは家晴明神と称した。旧県社。祭神は肥前佐賀藩諫早家の祖である龍造寺家晴。家晴は天正一五年(一五八七)豊臣秀吉の九州仕置のあと筑後柳川やながわ(現福岡県柳川市)の領知を没収されたが、その命により同年七月に家晴は諫早西郷氏を追放して諫早の領主となり、姓を諫早氏に改めている。当社は天保一三年(一八四二)一二代の茂洪が家晴をしのんで小祠を建て家晴明神と号したことに始まる。境内には寛延三年(一七五〇)の諫早一揆の主導者の一人儒者若杉春后を祀る若杉霊神の石祠がある。

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