歌舞伎(かぶき)俳優。元禄(げんろく)~享保(きょうほう)期(1688~1736)の若衆方、若女方(わかおんながた)で初世市川団十郎の門弟になった初世以降、5世まで継承。そのうち4世が有名。
[古井戸秀夫]
(1812―66)名人小団次とよばれる幕末の名優。江戸・市村座の火縄売り高島屋栄蔵の子。屋号高島屋。幼くして7世市川団十郎に入門したがまもなく江戸を離れ、名古屋、伊勢(いせ)、京都の子供芝居や大坂の浜芝居で修業を積む。1844年(弘化1)に江戸を追放されて上坂中の師団十郎のもとで、4世市川小団次を襲名。1847年に江戸に下る。悪声のうえに貧弱な体躯(たいく)ながら、機敏な動きで、大坂仕込みの早替りや宙乗りで人気を集める。狂言作者河竹新七(後の黙阿弥(もくあみ))と提携し、『鼠小僧(ねずみこぞう)』『小猿(こざる)七之助』『三人吉三(さんにんきちさ)』など講釈種の生世話(きぜわ)の小悪党の役で評判をとり「白浪(しらなみ)(泥棒)役者」とよばれた。1857年座頭(ざがしら)となり、翌年以後の江戸劇壇は小団次の独壇場となったが、当時の退廃した社会を微細にうつした演技が、1866年(慶応2)の『鋳掛松(いかけまつ)』で幕府の取締りの対象になり、それが原因で憤死したという。
[古井戸秀夫]
(1850―1922)本名須原清助。4世の子。1879年(明治12)襲名。義兄初世左団次とその子2世左団次の脇役(わきやく)を務めた。
[古井戸秀夫]
(青木繁)
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歌舞伎俳優。初世から5世まであるが,4世が有名。4世(1812-66・文化9-慶応2)は俳名米升,屋号高島屋。市村座出方の子で幼時大坂に上り,1822年(文政5)市川米蔵の名で子供芝居に出て各地を回り,29年(文政12)上坂した7世団十郎に入門。同年米十郎と改名して小芝居で修業,果敢なケレンと幅広い演技力で中(ちゆう)芝居の人気者となった。44年(弘化1)小団次を襲名,3年後江戸に下り,以後20年間江戸の舞台を勤め,門閥なくして座頭の地位を得るまで出世した。小男で口跡も悪いという先天的条件を厳しい身体的訓練と演出やせりふ回しのあくなき工夫でよく克服,河竹黙阿弥と提携して次々新作を上演,江戸の生世話狂言に上方系辛抱狂言の役柄を取り込み,実意を尽くしながら貧苦に泣き悪に傾くという,幕末期下層庶民の不安な心情を,きわめて写実的に演じた。鼠小僧,鬼坊主清吉,いかけ松など当り役は数多い。なお,5世は1878年に実子清吉がついだ。
執筆者:青木 繁
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江戸時代末期〜大正期の歌舞伎俳優(立役)
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歌舞伎俳優。江戸前期から5世を数えるが,4世が著名。初世(1676~1726)は初世市川団十郎の門弟。俳名花薫。4世(1812~66)は幕末期を代表する名優。京坂で早替り・宙乗りなどけれん演出を得意としたが,晩年は江戸で河竹黙阿弥と提携し,生世話物(きぜわもの)の名作を多数うみだした。市井描写と音楽的な演出にすぐれ,所作事(しょさごと)もよくした。屋号は高島屋。俳名米升(べいしょう)。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
… 猿若町時代の歌舞伎を代表するのが河竹黙阿弥である。彼は上方から下った世話物の名優4世市川小団次と提携し,音楽劇的に情緒豊かな,その一面に写実を徹底的に推し進めた多くの作品を作った。《蔦紅葉宇都谷峠(つたもみじうつのやとうげ)》《鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)》《三人吉三廓初買》《勧善懲悪覗機関(かんぜんちようあくのぞきがらくり)》など,現代にも〈黙阿弥物〉の名で名作として伝わる数多くの世話物を精力的に書きつづけた。…
…この期には団十郎のための《難有御江戸景清(ありがたやめぐみのかげきよ)》(1850),柳下亭種員の合巻を脚色した《児雷也豪傑譚話》(1852)などがある。 第2期は54年(安政1)から66年(慶応2)までの10余年間で,名人といわれた幕末の代表的役者4世市川小団次と組み,生世話狂言とくに白浪物に本領を発揮,地位を確立した時代。その契機は《都鳥廓白浪》(1854)で,以下《蔦紅葉宇都谷峠》(1856),《網模様灯籠菊桐》(1857),《小袖曾我薊色縫(あざみのいろぬい)》(1859),《三人吉三廓初買》(1860),《八幡祭小望月賑(よみやのにぎわい)》(1860),《勧善懲悪覗機関(かんぜんちようあくのぞきがらくり)》(1862),《曾我綉俠御所染(そがもようたてしのごしよぞめ)》(1864),《船打込橋間白浪(ふねへうちこむはしまのしらなみ)》(1866)などを小団次のために書いた。…
…別名題《村井長庵巧破傘(むらいちようあんたくみのやれがさ)》,通称《村井長庵》。幕末の名作者河竹黙阿弥が,当時の名優4世市川小団次のために書きおろした作品。小団次は,義弟を殺し,妹を人手にかけさせる極悪非道な町医者村井長庵と,神田の質屋伊勢屋の手代で実直な善人久八の二役をつとめ,大当りをとった。…
…座頭役者の子が親の名跡(みようせき)を継ぎ,あるいは高弟が師匠の名跡を継いで,座頭となる場合が多かった。それだけに,下級の役者から出世して,実力だけで座頭の地位につくのは至難の業で,初世中村仲蔵,4世市川小団次らは,その稀有な例。立女方(たておやま)を指して〈女方の座頭〉と呼ぶことはあった(《三座例遺志(さざれいし)》)が,原則として女方は一座の座頭にはならなかった。…
…これを歌舞伎にとりこんだのが河竹黙阿弥である。黙阿弥は提携した4世市川小団次の柄(がら)や芸風に合わせて,1854年(安政1)の《都鳥廓白浪(みやこどりながれのしらなみ)》をはじめ《鼠小紋東君新形(ねずみこもんはるのしんがた)》《網模様灯籠菊桐(あみもようとうろのきくきり)》《小袖曾我薊色縫(こそでそがあざみのいろぬい)》《三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい)》《勧善懲悪覗機関(かんぜんちようあくのぞきがらくり)》《船打込橋間白浪(ふねへうちこむはしまのしらなみ)》など,傑作・佳作を続々と書いて白浪作者の異名を得,小団次も白浪役者と呼ばれた。13世市村羽左衛門(のちの5世尾上菊五郎)のために黙阿弥が書いた《青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)》もある。…
…1857年(安政4)1月江戸市村座初演。配役は鼠小僧次郎吉こと稲葉幸蔵を4世市川小団次,幸蔵養母お熊・早瀬弥十郎・次郎太夫を坂東亀蔵,与之助を河原崎権十郎(のちの9世市川団十郎),お高・松山・若草を4世尾上菊五郎,新助・伊之助を5世坂東彦三郎,与惣兵衛を2世浅尾与六,蜆売り三吉を13世市村羽左衛門(のちの5世尾上菊五郎)など。1832年(天保3)に処刑された鼠小僧の実説をふまえた2世松林(しようりん)伯円の講談をもとに脚色された。…
…1860年(万延1)7月江戸市村座初演。配役は縮売越後新助・小天狗正作を4世市川小団次,赤間源左衛門・念仏六兵衛を3世関三十郎,芸者美代吉を岩井粂三郎(のちの8世半四郎),穂積新三郎を河原崎権十郎(のちの9世市川団十郎),白滝の佐吉を13世市村羽左衛門(のちの5世尾上菊五郎)など。1807年(文化4),深川の八幡祭の際,人出の多さに永代橋が落ちた事件と,18年(文政1)本郷の呉服屋甚之助が深川芸者おみのを殺した事件をヒントに,小千谷から毎年江戸へ縮(ちぢみ)を売りにくる越後商人を小団次の柄にはめ,初演は世界を〈切られ与三〉にして脚色。…
…1854年(嘉永7)3月江戸河原崎座初演。配役は忍ぶの惣太を4世市川小団次,花子実は松若を坂東しうか,吉田梅若を沢村由次郎(のちの3世沢村田之助)。謡曲《隅田川》の梅若伝説をふまえたお家世話狂言。…
※「市川小団次」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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