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市川小団次 いちかわこだんじ

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大辞林 第三版の解説

いちかわこだんじ【市川小団次】

(四世)(1812~1866) 歌舞伎俳優。屋号高島屋。世話狂言を完成した江戸劇壇最後の大立者。当り役「東山桜荘子」(佐倉宗吾)「鼠小僧」

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(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

市川小団次【いちかわこだんじ】

歌舞伎俳優。5世〔1850-1920〕まである。屋号高島屋。4世〔1812-1866〕は7世市川團十郎門下の下級俳優から,幕末の代表的名優に出世した。容姿の欠点を技芸で補い,広い芸域をこなし,河竹黙阿弥と結び生世話(きぜわ)物を完成。
→関連項目市川左団次高島屋

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世界大百科事典 第2版の解説

いちかわこだんじ【市川小団次】

歌舞伎俳優。初世から5世まであるが,4世が有名。4世(1812‐66∥文化9‐慶応2)は俳名米升,屋号高島屋。市村座出方の子で幼時大坂に上り,1822年(文政5)市川米蔵の名で子供芝居に出て各地を回り,29年(文政12)上坂した7世団十郎に入門。同年米十郎と改名して小芝居で修業,果敢なケレンと幅広い演技力で中(ちゆう)芝居の人気者となった。44年(弘化1)小団次を襲名,3年後江戸に下り,以後20年間江戸の舞台を勤め,門閥なくして座頭の地位を得るまで出世した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

市川小団次
いちかわこだんじ

歌舞伎(かぶき)俳優。元禄(げんろく)~享保(きょうほう)期(1688~1736)の若衆方、若女方(わかおんながた)で初世市川団十郎の門弟になった初世以降、5世まで継承。そのうち4世が有名。[古井戸秀夫]

4世

(1812―66)名人小団次とよばれる幕末の名優。江戸・市村座の火縄売り高島屋栄蔵の子。屋号高島屋。幼くして7世市川団十郎に入門したがまもなく江戸を離れ、名古屋、伊勢(いせ)、京都の子供芝居や大坂の浜芝居で修業を積む。1844年(弘化1)に江戸を追放されて上坂中の師団十郎のもとで、4世市川小団次を襲名。47年に江戸に下る。悪声のうえに貧弱な体躯(たいく)ながら、機敏な動きで、大坂仕込みの早替りや宙乗りで人気を集める。狂言作者河竹新七(後の黙阿弥(もくあみ))と提携し、『鼠小僧(ねずみこぞう)』『小猿(こざる)七之助』『三人吉三(さんにんきちさ)』など講釈種の生世話(きぜわ)の小悪党の役で評判をとり「白浪(しらなみ)(泥棒)役者」とよばれた。57年座頭(ざがしら)となり、翌年以後の江戸劇壇は小団次の独壇場となったが、当時の退廃した社会を微細にうつした演技が、66年(慶応2)の『鋳掛松(いかけまつ)』で幕府の取締りの対象になり、それが原因で憤死したという。[古井戸秀夫]

5世

(1850―1922)本名須原清助。4世の子。1879年(明治12)襲名。義兄初世左団次とその子2世左団次の脇役(わきやく)を務めた。[古井戸秀夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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