中国、南北朝期に現れたトルコ系北方遊牧民族。その名は、彼らが高輪の車を使用したことに由来した中国の呼称である。漢代にはバイカル湖以北のアンガラ、エニセイ両川上流の間に住んでいた丁零(ていれい)族が、やがて一部は中原(ちゅうげん)に、一部は漠北(ばくほく)に南下移住し、オルホン川、トーラ川周辺の6種、セレンガ川からアルタイ山脈にかけての12族などが集落単位で分散居住していた。漠北の集落群は高車、勅勒(ちょくろく)とよばれ、5世紀初めには柔然(じゅうぜん)に服属していたが、北魏(ほくぎ)の遠征を受け、ふたたびかなりの集落が中国内地へ移住させられた。しかし漠北に残った集落群は5世紀末、阿伏至羅(あふくしら)に率いられ、アルタイ山脈以西へ移り、独立国家を樹立した。その国は南北に分かれて統治され、北は阿伏至羅が、南はその従弟の窮奇(きゅうき)が治め、さらにオアシス諸国家をも支配して、東では柔然と、西ではエフタルと対峙(たいじ)し、北魏とも通交した。しかし、エフタルの勢力伸張に伴い、その圧力を受けた。6世紀初めには柔然に破られ、国王は殺され、国民はエフタルに投降した。のちエフタルの援助で再興したが、ふたたび柔然に敗れ、ついに546年、突厥(とっけつ)に敗れ、併合された。唐代の薛延陀(せつえんだ)、回紇(かいこつ)は彼らの後裔(こうえい)とされている。
[片桐 功]
『護雅夫訳注「高車伝」(『騎馬民族史Ⅰ』所収・平凡社・東洋文庫)』
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4~6世紀,北アジアにいたトルコ系部族。高輪の車を用いたのでこう呼ばれたという。丁零(ていれい)の後身で,高車丁零ともいわれた。初めセレンゲ川流域にいて柔然(じゅうぜん)に服属していたが,485~486年頃アルタイ山脈の西に移動してジュンガリアに独立国を建て,高昌などのオアシス都市国家を支配し,柔然と対立して北魏と通交した。6世紀,南北朝後半期から隋初にこの方面にいた鉄勒(てつろく)はその後身である。
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…すなわち,トルコ系諸民族が,その現住地に居住するにいたるまでには,〈移動〉〈征服〉を中心にくりひろげられた彼らの長い歴史があり,その意味では,トルコ民族史は,トルコ系諸民族の移動と征服活動の歴史であったともいえる(図)。
[丁零と高車]
トルコ系諸民族がもともとどこに居住していたか,彼らの原住地がどこであったかという問題については,現在なお定説がない。原住地を,少なくともウラル山脈以東の草原地帯に求める説が有力ではあるが,ウラル以西にも古くからトルコ系諸民族の活動が見られたとする説もあって,なお一定しない。…
※「高車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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