桂米朝(読み)カツラベイチョウ

デジタル大辞泉 「桂米朝」の意味・読み・例文・類語

かつら‐べいちょう〔‐ベイテウ〕【桂米朝】

[1925~2015]落語家。3世。満州の生まれ。本名、中川清。上方落語復興発展に力を尽くした。人間国宝。平成21年(2009)落語家では初の文化勲章受章

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知恵蔵 「桂米朝」の解説

桂米朝

上方落語家の名跡。3代目・桂米朝は、1925年11月6日、旧満州(中国・大連)生まれ。本名は中川清(なかがわきよし)。人間国宝。落語の深く広い世界を品のある豊かな情景描写と巧みな言葉で表現できる知的な演者としてはもちろん、研究者や教育者としての評価も高い。「たちぎれ線香」や「百年目」などを得意の噺(はなし)とした。直弟子に故・枝雀、ざこば、故・吉朝らがおり、門下は約80人(物故者等含む)。
30年に旧満州から一家で帰国、兵庫県姫路市で暮らした。幼い頃から父に連れられ大阪の寄席演芸に親しんだ。43年、大東文化学院(現・大東文化大学)に進学、寄席文化研究家の故・正岡容師事する。終戦後は会社員として働きながら新作落語を書き、47年に4代目桂米団治に弟子入りし、3代目桂米朝を名乗る。58年に結婚。66年、40歳の時に初の独演会「桂米朝スポットショー」を京都で、翌67年には東京でも開く。72年、「第1回上方お笑い大賞」を受賞。74年に米朝事務所を設立。87年に紫綬褒章を受け、96年には上方落語家で初めて、人間国宝に認定される。2009年には落語家として初めて文化勲章を受賞。10年には存命中の落語家としては初の「上方演芸の殿堂入り」を果たした。80歳を過ぎた頃から脳梗塞(こうそく)や骨折などで入退院を繰り返す。15年3月19日、肺炎のため死去。享年89。
弟子入りから4年後に師である桂米団治が亡くなったほか、当時、一線にいた落語家が相次いで他界。上方落語は滅亡間違いなしといわれる状況に危機感を抱き、3代目桂春団治、6代目笑福亭松鶴、5代目桂文枝と共に、上方落語の復活のために尽力した。文献や先達の証言などをもとに埋もれていた噺を復活させ、精力的に独演会を開いたほか、弟子の育成にも情熱を注いだ。
易しく書かれた入門書から専門性の高いものまで、著作も豊富に残した。落語の成り立ちからその面白さまでを読みやすい文章でつづった『落語と私』(文春文庫)は落語の入門書として名高い。『米朝よもやま噺』(朝日新聞出版)、『米朝ばなし 上方落語地図』(講談社文庫)、『上方落語ノート』(青蛙房)他、著書多数。高座を記録したものとしては、『上方落語 桂米朝コレクション』全8巻(筑摩書房)、DVD「特選!!米朝落語全集」全30集(ユニバーサルミュージック)などがある。

(松岡理絵 フリーランスライター/2015年)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「桂米朝」の意味・わかりやすい解説

桂米朝(3世)
かつらべいちょう[さんせい]

[生]1925.11.6. 満州,大連
[没]2015.3.19. 大阪,大阪
落語家。本名中川清。大東文化学院中退。1943年正岡容に師事。1947年 4世桂米団治に入門,桂米朝となる。戦後滅亡の危機にあった上方落語の復興に尽力,6世笑福亭松鶴,3世桂春団治,5世桂文枝とともに戦後上方落語四天王と呼ばれる。1969年頃から全国で独演会を開催,その後,大阪サンケイホールで定期的に独演会を開催する。得意ネタは『百年目』『はてなの茶碗』『住吉駕篭』などに,『地獄八景亡者戯』などの大作や,『矢橋舟』『算段の平兵衛』など古いネタを復刻した。自作の新作落語『一文笛』は東西で演じる人も多い古典ともいえる名作。1996年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定,2009年文化勲章受章。研究者としても活躍,帝塚山学院大学で講師を務めたほか,『米朝落語全集』(7巻,1980~82)はその後の落語家たちの教科書ともなった。『上方芸人誌』(1976),『上方落語ノート』(1978),『落語と私』(1986)など著書も多数。門下に 2世桂枝雀,月亭可朝,桂ざこば,5世桂米団治(長男)らがいる。(→落語

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百科事典マイペディア 「桂米朝」の意味・わかりやすい解説

桂米朝【かつらべいちょう】

落語家。初代〔1856-1924〕は,2代目桂米団治から3代目桂文団治になった人物の前名。2代〔1868-1943〕は,のちに3代目桂米団治になった人物の前名で,初代・2代ともに真打としての名前ではなかった。3代〔1925-2015〕は兵庫県出身で,本名中川清。大東文化学院(現,大東文化大学)中退。上方落語の復興に尽力し,1996年に重要無形文化財保持者(人間国宝),2002年には文化功労者となる。2009年に文化勲章を受章。品格に満ちた芸風で,上方落語界を代表する人物であった。《地獄八景亡者戯(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)》《百年目》などを得意とした。
→関連項目高田好胤

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「桂米朝」の解説

桂米朝(3代) かつら-べいちょう

1925-2015 昭和後期-平成時代の落語家。
大正14年11月6日満州(中国東北部)大連生まれ。昭和5年兵庫県姫路に一家で帰郷。正岡容(いるる)に師事し落語評論をめざすが,転身して昭和22年4代桂米団治に入門し,3代米朝を名のる。6代笑福亭松鶴(しょかく)らとうずもれた上方落語の発掘や新作にとりくむ。平成8年人間国宝。14年文化功労者。21年落語家としては初めて文化勲章を受章。長男は5代桂米団治。平成27年3月19日死去。89歳。兵庫県出身。大東文化学院中退。本名は中川清。著作に「上方落語ノート」「落語と私」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「桂米朝」の意味・わかりやすい解説

桂米朝 (かつらべいちょう)

落語家。(1)初代は,2代目桂米団治から3代目桂文団治になったひとの前名。(2)2代は,のちに3代目米団治になったひとの前名で,いずれも真打名前ではなかった。(3)3代(1925(大正14)- ) 本名中川清。大東文化学院中退。4代目桂米団治門下。上方落語の復興に尽くし,上方落語界の重鎮であり,芸術選奨文部大臣賞,大阪芸術賞その他多くの受賞に輝く実力者。《百年目》《たちぎれ線香》などが得意。
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知恵蔵mini 「桂米朝」の解説

桂米朝

上方落語家。1925年11月6日、旧満州大連生まれ。本名・中川清。43年、作家・寄席文化研究家の正岡容(まさおかいるる)に師事し、47年、4代目桂米団治に入門、大阪で初舞台を踏む。66年、初の独演会を開催。3代目桂米朝を名乗り、没落寸前だった上方落語を復興させた。3代目桂春団治、故5代目桂文枝、故6代目笑福亭松鶴と共に「上方落語四天王」と称される。74年、株式会社米朝事務所を設立。96年、重要無形文化財保持者(人間国宝)認定。2002年「文化功労者」顕彰、09年「文化勲章」受章。門下には故桂枝雀、桂ざこば、桂南光など多数がいる。著作物は『桂米朝上方落語選』(立風書房、70年)、『米朝よもやま噺」(朝日新聞社、2007年)など30冊以上にのぼる。15年3月19日、肺炎により死去。享年89。

(2015-3-23)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「桂米朝」の意味・わかりやすい解説

桂米朝
かつらべいちょう
(1925―2015)

上方(かみがた)の落語家。本名中川清。大東文化学院に学ぶ。1947年(昭和22)に4代目桂米団治(よねだんじ)に入門し、米朝を名のる。米朝の名は3代目で、初代は2代目米団治、2代は3代目米団治の前名。上方落語の発展のため精力的な活動を続ける優れた口演者であるとともに落語研究家としても第一級。芸術祭賞、芸術選奨文部大臣賞など数々の賞を受ける。『米朝落語全集』『米朝上方落語選』『落語と私』『上方落語ノート』など著書も多い。1996年(平成8)重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。2002年文化功労者。

[関山和夫]

『『米朝落語全集』全7巻(1980~1982・創元社)』

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367日誕生日大事典 「桂米朝」の解説

桂 米朝(3代目) (かつら べいちょう)

生年月日:1925年11月6日
昭和時代;平成時代の落語家

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